妙證山乗泉寺|本門佛立宗の永代聖寺
乗泉寺の概要
本門佛立宗寺院の乗泉寺は、妙證山と号します。乗泉寺は、小田家臣兒島勘兵衛が芝西久保に小菴を創設、實證院日周大徳(寛永17年1640年寂)を住持として元和年間に創建、その後麻布桜田町へ移転したといいます。明治34年本門佛立宗第8世有日歓上人が当寺18世に就任し荒廃した当寺を復興、首都圏各地に末寺を建立しました。昭和20年の空襲により伽藍焼失、昭和25年当地へ移転、末寺を数多く擁す本門佛立宗寺院の永代聖寺です。
山号 | 妙證山 |
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院号 | - |
寺号 | 乗泉寺 |
住所 | 渋谷区鶯谷町10-15 |
宗派 | 本門佛立宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
乗泉寺の縁起
乗泉寺は、小田家臣兒島勘兵衛が芝西久保に小菴を創設、實證院日周大徳(寛永17年1640年寂)を住持として元和年間に創建、その後麻布桜田町へ移転したといいます。明治34年本門佛立宗第8世有日歓上人が当寺18世に就任し荒廃した当寺を復興、首都圏各地に末寺を建立しました。昭和20年の空襲により伽藍焼失、昭和25年当地へ移転、末寺を数多く擁す本門佛立宗寺院の永代聖寺です。
「全国寺院名鑑」による乗泉寺の縁起
妙証山と号す。元和年中西久保に一草庵として日周が草創。五〇年後の明暦万治のころ京都妙蓮寺末となった。開基は日祟。安政四年妙蓮寺に籍をおいた日扇が本門仏立講を開講。のち明治一五年日扇の弟子第四世講有日教が帝都弘道のため当寺に留錫、一五世住職となる。同三四年講有日歓が一八世住職となり、当時荒廃した寺院を復興し現在の盛況の基礎をつくり中興開基となる。大正一二年日歓は世田谷別院に隠棲、のち日農が就任し麻布桜田町に大伽藍を完成し永代聖寺に昇格した。昭和二〇年空襲で大伽藍を焼失、同二五年現在地に移り同四〇年に現建物を完成した。海老原喜之助、棟方志功、菊池一雄等の作品を装備したモダン寺院である。現在末寺九〇ヵ寺。(「全国寺院名鑑」より)
「麻布區史」による乗泉寺の縁起
妙證山乗泉寺 櫻田町二
本門法華宗京都妙運寺末。元和年中小田家臣兒島勘兵衛、芝西久保に一小菴を創設し本山の學徒實證院日周大徳(寛永十七年一月四日寂)を住持とす。後幕命に依つて現地に移つた。享保六年二月七日火災に罹り焼失し、本山二十世の信入院日崇(元禄二年二月四日寂)の手に依つて中興された。
當寺は大正初年より本門佛立講東京第二支部として弘通發展し、境城逐次擴張の上昭和八年に至り隣接の臨済宗妙心寺派大法寺境内を全部買収し、遂に總工費五十餘萬圓の大伽藍を營むに至つた。(「麻布區史」より)
乗泉寺の周辺図