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若宮八幡神社|新宿区若宮町の神社

若宮八幡神社の概要

若宮八幡神社は、新宿区若宮町にある八幡神社です。若宮八幡神社は、源頼朝が文治5年(1189)奥州藤原征伐の際に当地で宿願、奥州平定後に鎌倉の若宮八幡宮を移して仁徳天皇を勧請して創祀したといいます。文明年間(1469-1487)には太田道灌が江戸城鎮護のため、当社を江戸城に相対させた形で再興させたといいます。

若宮八幡神社
若宮八幡神社の概要
社号 八幡神社
祭神 仁徳天皇・応神天皇
相殿 -
境内社 稲荷神社
住所 新宿区若宮町18
祭日 -
備考 -



若宮八幡神社の由緒

若宮八幡神社は、源頼朝が文治5年(1189)奥州藤原征伐の際に当地で宿願、奥州平定後に鎌倉の若宮八幡宮を移して仁徳天皇を勧請して創祀したといいます。文明年間(1469-1487)には太田道灌が江戸城鎮護のため、当社を江戸城に相対させた形で再興させたといいます。

東京都神社名鑑による若宮八幡神社の由緒

文治五年(一一八九)源頼朝公、奥州藤原征伐のさい、この地により宿願、奥州平定後、鎌倉の若宮八幡宮を移し、平和の神、仁徳天皇を鎮座して関東軍に崇敬せしめたものであるといわれており、応神天皇は仁徳天皇の御父神として合祀せられた。文明年間(一四六九-八七)太田道灌が江戸城鎮護のため、当社を再興し、社殿を江戸城に相対せしめたものである。昭和二十年五月二十五日、戦災によりすべてを焼失した。(東京都神社名鑑より)

「牛込區史」による若宮八幡神社の由緒

文治五年、源頼朝が奥州追討の際の宿願により、治平後鎌倉鶴岡若宮を遷したのに始まり、文明年中太田道灌が再興したもので、祭神は應神天皇であるといひ傳へる。舊時拝領地二百四十坪、別當普門院、末社歓喜天社・稲荷社・地蔵堂等があった。尚ほ別當開基は元隠とある。(延寶七年四月寂)(「牛込區史」より)

東京都神社名鑑による若宮八幡神社の由緒

若宮八幡宮は若宮坂の上若宮町にあり(或は若宮小路ともいへり)別当は天台宗普門院と号す、傳ふに文治五年の秋右大将源頼朝公奥州の藤原泰衡を征伐せんが為に発向す其の時当所にて下馬宿願あり後奥州平治の後当社を営鎌倉鶴岡の若宮八幡宮を移し奉ると云へり(若宮は仁徳天皇なり後に応神天皇に改め祭ると云ふ)文明年間太田道灌江戸城鎮護の為当社を再興し社殿を江戸城に相対せしむるなり、当社は文明の頃は大社にして神領等あり美れいなりしという。
神域は黒板塀の神垣南に黒門あり門内十歩狛犬一対(明和八年卯年八月奉納とあり)右に天水釜あり拝殿は南に面する瓦葺破風造梁間桁行三間向拝あり松に鷹象頭に虎を彫る「若宮八幡神社」の横額源正哥謹書とあり揚蔀にて殿内格天井を組み毎格花弁を描く神鏡晶然として銅鋼深く鎮せり以て弊殿本社に通ず本社は土蔵造りなり
本殿東南に神楽殿あり瓦葺梁間二間桁行二間半勾欄付「神楽殿」の三字を扁し樵石敬書と読まる背景墨画の龍あり落款梧堂とあり境内に銀杏の老樹あり
明治二年神佛混淆の禁令あるや別当光明山普門院(山州男山に同じ)服飾して神職となる
例大祭は九月十五日中祭五月十五日小祭一月十五日に行われ社務所は本社の東に在り
現在氏子は若宮町神楽坂一丁目二丁目三丁目の四ヶ町なり(東京都神社名鑑より)


若宮八幡神社の周辺図