出世稲荷神社|郭向の岡と呼ばれていた地に創建
出世稲荷神社の概要
出世稲荷神社は、新宿区余丁町にある稲荷神社です。出世稲荷神社は、長禄元年(1457)江戸城主太田道灌が「郭向の岡」と呼ばれていた地に創建、大永六年(一五二六)遠山左衛門尉直影が当地へ遷座したといいます。
社号 | 稲荷神社 |
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祭神 | 宇迦魂大神 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 新宿区余丁町12-18 |
祭日 | 月例祭17日、例大祭10月17日 |
備考 | - |
出世稲荷神社の由緒
出世稲荷神社は、長禄元年(1457)江戸城主太田道灌が「郭向の岡」と呼ばれていた地に創建、大永六年(一五二六)遠山左衛門尉直影が当地へ遷座したといいます。
境内掲示による出世稲荷神社の由緒
長禄元年(約520年前)江戸城主太田道灌によって当地に御鎮座されたものであります。
元禄年中には徳川五代将軍綱吉の母桂昌院の信仰篤くしばしば角力も興行され特に賑わいました。
明治6年それまで栗津稲荷あるいは朝日稲荷と呼ばれていたものを出世稲荷神社と改めました。
昔から農工商の神様として崇敬され特に当社は武士の信仰篤く商売繁昌家内全隆除災特に火災を守る神様として霊験あらたかであります。(境内掲示より)
東京都神社名鑑による出世稲荷神社の由緒
太田道濯の家臣粟津民部豊重、或る夜夢に「武蔵国豊島郡江戸境は日城天府の地であり、他日繁栄限りなし、我は山城国稲荷大明神である」といい、たちまち夢はさめた。豊重、道灌にこの旨を話したところ、道灌も同じ霊夢を見たという。さっそく康正元年(一四五七)春、土切りを催し、長禄元年(一四五七)秋城郭成り、道灌入道江戸に移る。ここにおいて件の霊夢の告げにまかせ、郭向の岡というところに稲荷大明神を勧請し、郭内の鎮守と斎い奉る。これ当社のはじめである。また、昔は郭向の岡に在ったが、当地に遷座したのほ、遠山左衛門尉直影、戦国の世、尊社を汚し奉ることはなはだ恐れありと、大永六年(一五二六)春、この地に移し奉り、武州稲荷山とした云々とあり、昔より現在の地に鎮座していたことは嘉永七年(一八五四)江戸麹町六丁目金鱗堂出版の大久保絵図の掲載を見ても明らかである。当神社は粟津稲荷大明神と称したが、明治六年稲荷神社と改め、その後、出世稲荷神社と称した。昭和二十年四月十四日戦災にて社殿その他いっさい全焼する。(東京都神社名鑑より)
出世稲荷神社の周辺図