蔭凉山済松寺|德川家光に仕えていた祖心尼が創建
済松寺の概要
臨済宗妙心寺派寺院の済松寺は、蔭凉山と号します。済松寺は、德川家光に仕えていた祖心尼(祖心首座尼大姉)が正保3年(1646)牛込に領地を拝領して尼寺を創建、慶安3年(1650)寺領345石の御朱印状を拝領、同年寺領の追加を受けたといいます。尼寺が永代維持出来るか考慮した徳川家光(大猷院)は、京都妙心寺から水南和尚(心印正伝禅師)を迎えて開山したといいます。
山号 | 蔭凉山 |
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院号 | - |
寺号 | 済松寺 |
住所 | 新宿区榎町77 |
宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
済松寺の縁起
済松寺は、德川家光に仕えていた祖心尼(祖心首座尼大姉)が正保3年(1646)牛込に領地を拝領して尼寺を創建、慶安3年(1650)寺領345石の御朱印状を拝領、同年寺領の追加を受けたといいます。尼寺が永代維持出来るか考慮した徳川家光(大猷院)は、京都妙心寺から水南和尚(心印正伝禅師)を迎えて開山したといいます。
「牛込區史」による済松寺の縁起
蔭凉山済松禅寺 京都妙心寺末
正保三年十月の起立に係る。開山水南大和尚。延寳二年五月十六日示寂(寺社書上に云ふ『嚴有院様御代寛文三年、祖心事奉願済松寺御建立之儀は、大猷院様厚き思召を以御建立被爲在候は、尼寺に向は末々如何と奉存候。京都妙心寺塔頭雑華院水南和尚は祖心因縁も有之、第一道徳兼備之僧に御座候得は、済松寺住職被仰付被下置候様奉願候處、願之通被仰付、同年四月十二日入寺仕、同十五日於白書院初住之恩禮御目見被仰付、壹束壹巻献上仕候』。)中興開山七世頑石大和尚、寛保二年十二月六日寂。寛政九年七月廿八日、仙洞御所から禅師號を賜はつた。開基祖心首座尼大姉、延寳三年三月十一日寂(祖心は勢州田丸城主牧村兵部大夫利貞の娘で、母は稲葉兵庫頭の娘、春日局と縁故のある人であつた。)舊境内拝領地八千七百十五坪、外添地千五百十七坪、御朱印寺領三百四十五石三斗餘。(「牛込區史」より)
新宿区の文化財による済松寺の縁起
臨済宗妙心寺派。済松寺の開祖祖心尼は、夫である奥州(福島県)三春の城主町野長門守孝和の没後、近親の春日局の推挙によって三代将軍徳川家光に仕え、正保三年(一六四六)牛込に領地を賜わって当寺を創建した。慶安三年(一六五〇)には寺領の追加拝領をうけ、京都妙心寺から水南和尚(心印正伝禅師)を迎えて開山し、名実ともに牛込を代表する大寺とした。境内には、家光の側室お里佐の方や四代将軍徳川家綱の側室お振りの方、また祖心尼関係の牧村氏・前田氏、その他由緒ある人々の墓がある。
境内の鳳凰池(通称「鳳風の池」)は、豊かにわき出る地下水をたたえた池で、これを景観に取り入れた庭園は済松寺創建以前からあったものである。ふつうの土地よりも低い所で山の趣を出すために池の方を深く掘るという特別な造園法がとられている。池は大正末期ころまではわき水が多かったが、その後、神田川の改修工事などの影響で止まってしまい、現在は井戸水を汲みあげて水を絶やさないようにしている。(新宿区の文化財より)
済松寺の周辺図
参考資料
- 「牛込區史」
- 新宿区の文化財
- 済松寺ホームページ祖心尼.net