覺雲山浄栄寺|普化宗関連資料
浄栄寺の概要
浄土真宗系単立寺院の浄栄寺は、覺雲山と号します。浄栄寺は、元和2年(1616)市谷田町に創建、寛永11年(1634)市谷南寺町へ移転したといいます。当寺には、明治維新後の廃仏毀釈により廃絶となった普化宗に関連する資料が残されているといいます。
山号 | 覺雲山 |
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院号 | - |
寺号 | 浄栄寺 |
住所 | 新宿区市谷薬王寺町27 |
宗派 | 浄土真宗系単立 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
浄栄寺の縁起
浄栄寺は、元和2年(1616)市谷田町に創建、寛永11年(1634)市谷南寺町へ移転したといいます。
「牛込區史」による浄栄寺の縁起
覺雲山浄榮寺、西本願寺末
元和二年市谷田町に起立、寛永十一年南寺に移つた。中興開基善乗法師、慶安三年十二月三日遷化。舊境内古跡拝領地七百九十五坪。(「牛込區史」より)
御府内寺社備考による浄栄寺の縁起
西本願寺末 市ヶ谷南寺町
覚雲山浄栄寺、境内古跡年貢地七百九拾五坪
起立元和二丙辰年市ヶ谷田町ニ而地を拝領仕築立御堀造ニ十九年十九年建立候其後寛永十一甲戌年御堀御用地ニ付替地被仰付当所に引移申候。
中興開基善乗法師慶安三庚寅年十二月三日遷化。
本堂、八間四面。本尊阿弥陀如来、長壱尺八寸木座像。
右者宝暦十三癸未年二月五日四谷出火之節類焼明和二酉年再建仕其後天明四年十二月築地本山掛一町類焼之節仮堂ニ献上仕候。其後掛町本堂再建(御府内寺社備考より)
浄栄寺所蔵の文化財
- 尺八「放下着」一式ならびに普化尺八伝授関連資料(新宿区指定有形民俗文化財)
- 浄栄寺の梵鐘(新宿区登録有形文化財)
尺八「放下着」一式ならびに普化尺八伝授関連資料
尺八と付属する道具一式(歌口保護具、袋、筒、箱)、ならびにこの尺八伝授関連資料三点(「放下着傳来略記」「鈴鐸話并往来」「免許状」)から構成される。
尺八は江戸中期以前の製作と推定される全長四二・一センチの小ぶりの竹管で、歌口に近い部分から二節に向かい、背面部に「放下着」と金泥で銘が記される。普化宗門の法器として用いられた虚無僧尺八の古管として位置づけられ、ほぼ制作時の形状・色合いを保ち、いまなお吹笛可能な管である。
江戸中期以前の普化尺八の遺品として貴重であるとともに、伝授に関わる資料も併せて現存することは希有である。またこれらは尺八の製作ならびに伝承に関わる歴史的変遷を示すものとしても重要である。(新宿区教育委員会掲示より)
浄栄寺の梵鐘
浄栄寺第三世覚円の発願により、元禄九(一六九六)年に鋳造された銅造の梵鐘。總高一三四・五センチで、江戸鋳物師西嶋伊賀守藤原兼長の作である。
江戸鋳物師の製造技術が頂点に達した時期の作品で、江戸鋳物師の作風・鋳造技術を知ることができる。また、銘文から当寺の寺歴や梵鐘鋳造の歴史を知ることができ、史料的価値も高い。
太平洋戦争中の供出により区内の江戸時代の梵鐘は残存数は少なく貴重である。(新宿区教育委員会掲示より)
浄栄寺の周辺図