太子山龍善寺|新宿区早稲田町にある真宗大谷派寺院
龍善寺の概要
真宗大谷派寺院の龍善寺は、太子山聖徳皇院と号します。龍善寺は、寛永15年(1638)千駄ヶ谷に天台宗寺院として創建、その後岡崎上宮寺三十七世圓明院教祐(寛文3年1663年寂)が開祖となり、浄土真宗に改め、寛文7年(1667)早稲田に移転したといいます。
山号 | 太子山 |
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院号 | 聖徳皇院 |
寺号 | 龍善寺 |
住所 | 新宿区早稲田町77 |
宗派 | 真宗大谷派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
龍善寺の縁起
龍善寺は、寛永15年(1638)千駄ヶ谷に天台宗寺院として創建、その後岡崎上宮寺三十七世圓明院教祐(寛文3年1663年寂)が開祖となり、浄土真宗に改め、寛文7年(1667)早稲田に移転したといいます。
「牛込區史」による龍善寺の縁起
太子山聖徳皇院龍善寺、東本願寺末
初め千駄谷に起立、天台宗であつたが後浄土真宗に改め、寛文七年十月早稲田に引移つた。開祖上宮寺三十七代圓明院教祐、寛文三年四月廿二日寂。開基真行院欅道哲、寛文六年十一月十二日卒。舊境内年貢地千百二十坪、外除地表間口十三間、奥行五十四間。(「牛込區史」より)
新編武蔵風土記稿による龍善寺の縁起
(千駄ヶ谷村)龍善寺跡
龍善寺は牛込早稲田に移り、其除地今も此に残れり。則彼寺の持(新編武蔵風土記稿より)
龍善寺所蔵の文化財
- 木造阿弥陀如来立像(新宿区指定有形文化財)
木造阿弥陀如来立像
寄木造り、漆箔仕上げ。像高九五・一センチ。十二世紀末(鎌倉時代初期)の作品で区内でも最も古い仏像彫刻のひとつである。
龍善寺は寛文七年(一六六七)に現在地に移ったが、この像は当時からの本尊である。頭部の螺髪は細かく刻まれ、表情には上品さが漂っている。体は丸く弧を描くようななだらかな肩をもち、穏やかな表情や腰の高い胴体を相まって優美さが感じられる。全身を包む衣は極めて浅く刻まれ、腹部から股間に沿って流麗な衣文線が施されている。
いわゆる定朝様(平安時代の仏師)の優品である。
このほか龍善寺には、三河上宮寺の旧本尊であった聖徳太子像の胎内にあった、像高三〇センチ程の聖徳太子像も安置されている。(新宿区教育委員会掲示より)
龍善寺の周辺図