天沼熊野神社|杉並区天沼の神社

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天沼熊野神社|朝倉三河守が当地で帰農し十二所権現と呼称

天沼熊野神社の概要

天沼熊野神社は、杉並区天沼にある熊野神社です。天沼熊野神社の創建年代は不詳ですが、神護景雲二年(768)の創建とも元寇三年(1333)の創建とも伝えられます。その後応永二年(1395)朝倉三河守が当地で帰農し十二所権現と称するようになったといいます。明治維新後熊野神社と改称、明治7年村社に列格しました。

天沼熊野神社
天沼熊野神社の概要
社号 熊野神社
祭神 伊邪那美命
相殿 -
境内社 須賀神社、三峯神社、稲荷神社、白玉稲荷神社
祭日 例祭日8月2日
住所 杉並区天沼2-40-2
備考 旧天沼村中谷戸鎮守、旧村社



天沼熊野神社の由緒

天沼熊野神社の創建年代は不詳ですが、神護景雲二年(768)の創建とも元寇三年(1333)の創建とも伝えられます。その後応永二年(1395)朝倉三河守が当地で帰農し十二所権現と称するようになったといいます。明治維新後熊野神社と改称、明治7年村社に列格しました。

杉並区教育委員会掲示による天沼熊野神社の由緒

この神社は、旧天沼村の鎮守で、伊邪那美命が祭神として祀られています。
創立については詳ではありませんが、社伝によれば、神護景雲二年(768)、東海道巡察視が武蔵国に来たときに、氏神を勧請し別当を置いたのがはじまりと伝えています。
また一説には、元寇三年(1333)、新田義貞が北条高時を討つために鎌倉へ軍を進める途中この地に陣をしき、社殿を創設したとも伝えられています。その後、応永二年(1395)朝倉三河守という武将がこの地に帰農した際、社殿を修理し、十に社権現と称するようになったといわれています。熊野神社と名称を改めたのは明治維新以後のことです。
天沼は古来からの名称で、奈良時代末期の武蔵国の「乗瀦駅」から起こったといわれていますが、諸説があって定説はありません。この辺りからは室町時代の板碑が出土していることから、その頃すでに開発が進んでいた地域と考えられます。また、蓮華寺の過去帳によれば、天沼村はおそくとも慶長年間(1596-1615)には成立していたものと考えられます。
境内には、直径二メートルにも及ぶ大杉の切株がありますが、社伝によれば、この杉は新田義貞がこの地に陣をしいた際、戦勝を祈願して手植えしたものと伝えられています。惜しいことに、枯死したため昭和十七年伐採され、今では切株で昔をしのぶだけとなっています。
そのほか境内には、文化十四年(1817)九月奉納の石造鳥居と、文久二年(1862)九月奉納の石造手水盤があります。(杉並区教育委員会掲示より)

新編武蔵風土記稿による天沼熊野神社の由緒

(天沼村)十二所権現社
除地百五十坪、小名寶光坊にあり。本社は三尺四方、上屋二間に三間南向、阿佐ヶ谷村世尊院の持なり。(新編武蔵風土記稿より)


天沼熊野神社所蔵の文化財

  • 文化十四年(1817)九月奉納の石造鳥居
  • 文久二年(1862)九月奉納の石造手水盤

天沼熊野神社の周辺図