永福稲荷神社|永福寺の境内鎮守として創建
永福稲荷神社の概要
永福稲荷神社は、享禄3年(1530)に永福寺の開山秀天和尚が、永福寺境内の鎮守として創建しました。明治40年同村水久保にあった北野神社を合祀しています。
社号 | 稲荷神社 |
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祭神 | 宇迦之御魂命 |
相殿 | - |
境内社 | 天王社、白山神社、白鳥神社、北野神社 |
祭日 | 例祭日9月24日 |
住所 | 杉並区永福1-24-6 |
備考 | 旧永福寺村鎮守、旧別当:永福寺、境外末社:御嶽神社(永福1-39-17) |
永福稲荷神社の由緒
永福稲荷神社は、享禄3年(1530)に永福寺の開山秀天和尚が、永福寺境内の鎮守として創建しました。明治40年同村水久保にあった北野神社を合祀しています。
杉並区教育委員会掲示による永福稲荷神社の由緒
当社は、「新編武蔵風土記稿」多摩郡永福寺村の条に稲荷社(永福寺境内)とあって「上屋2間に1間半、内に小祠を置、拝殿3間に2間、社前に鳥居を立、村内の鎮守なり」とあるように旧永福寺の鎮守で祭神は宇迦之御魂命です。
社伝によれば享禄3年(1530)に永福寺の開山秀天和尚が、永福寺境内の鎮守として、伊勢外宮より豊受大神を勧請創建し、寛永16年(1639)の検地の際に、永福寺村持ちの鎮守になったといわれます。
明治維新後、永福寺から分離して一社を成し今日にいたっています。
境内末社として、天王社・白山神社(以上合殿)、白鳥神社(一殿)、及び明治40年10月に同村字水久保にあった北野神社(祭神・菅原道真公)が合祀されています。
境外末社に御嶽神社(永福1-39-17)があります。(杉並区教育委員会掲示より)
「杉並区の神社」による永福稲荷神社の由緒
永福稲荷神社(永福1-24-6)
当社は『新編武蔵風土記稿』多摩郡永福寺村の条に稲荷社(永福寺境内)とあって「上屋二間に一間半、内に小祠を置、拝殿三間に二間、社前に鳥居を立、村内の鎮守なり」とあるように旧永福寺村の鎮守で、江戸時代には曹洞宗永福寺境内にあった。創建は詳かでないが、社伝では享禄三(1530)年という。明治十二年の『神社明細帳』(東京都公文書館蔵)には当社について、
永福寺村字下村 無格社 稲荷神社
一、祭神 宇迦之御魂命
一、由緒 不詳
一、社殿間数 本殿間口一間奥行二間半 拝殿間口三間奥行二間
一、境内坪数 六百坪 民有地
一、境内末社二社 須賀神社(素盞嗚尊)・白山神社(伊弉冊命)
一、氏子戸数 四十戸
とある。明治四十年十月には同村水久保にあった北野神社を合祀した。
移転時の規模は「本殿間口二間奥行一間、境内坪数百四十五坪」であった。今日の永福稲荷は左のごとくである。
一、祭神 宇迦之御魂命
二、境内末社(三社)天王社・白山神社(以上合殿)、白鳥神社(一殿)、北野神社(一殿)
三、境外末社 御嶽神社
四、境内地 五一〇坪
五、主要建物 本殿二三・六八坪、神楽殿一二坪、御輿庫三坪、社務所二三坪
六、例祭日 九月二十四日
七、由緒
当社はかって永福寺が管理していたが、境外末社の御嶽神社は村内に御嶽講が結成された江戸中期に設置された。(「杉並区の神社」より)
永福稲荷神社の周辺図