下高井戸八幡神社|江戸城築城に祭して長禄元年(1457)創建、下高井戸宿の鎮守
下高井戸八幡神社の概要
下高井戸八幡神社は、杉並区下高井戸にある八幡神社です。下高井戸八幡神社は、太田道灌が江戸城を築く際、家臣柏木左衛門尉に命じて鎌倉の鶴岡八幡宮の神霊を勧請して長禄元年(一四五七)創建したといいます。江戸時代には下高井戸宿の鎮守社となっていた他、明治5年村社に列格、明治25年には、字四ツ割の稲荷神社(俚称田中稲荷)を合併したといいます。
社号 | 八幡神社 |
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祭神 | 応神天皇 |
相殿 | 受持命 |
境内社 | 天祖神社、御嶽神社、稲荷神社、祖霊社 |
祭日 | 9月25日 |
住所 | 杉並区下高井戸4-39-3 |
備考 | 旧下高井戸宿鎮守 |
下高井戸八幡神社の由緒
下高井戸八幡神社は、太田道灌が江戸城を築く際、家臣柏木左衛門尉に命じて鎌倉の鶴岡八幡宮の神霊を勧請して長禄元年(一四五七)創建したといいます。江戸時代には下高井戸宿の鎮守社となっていた他、明治5年村社に列格、明治25年には、字四ツ割の稲荷神社(俚称田中稲荷)を合併したといいます。
新編武蔵風土記稿による下高井戸八幡神社の由緒
(下高井戸宿)八幡社
除地、三段三畝十九歩、村の北の方にあり、僅なる祠を南向に立、村の鎮守にして宗源寺持 (新編武蔵風土記稿より)
杉並区教育委員会掲示による下高井戸八幡神社の由緒
下高井戸八幡神社
この神社は、旧下高井戸宿の鎮守で祭神は応神天皇です。
社伝によると、長禄元年(一四五七)太田道灌が江戸城を築くとき、工事の安全を願い、鎌倉の鶴岡八幡宮の神霊を勧請して創建したものといわれます。
本殿は、棟札によると、弘化四年(一八四七)の再建であることがうかがわれ、現在の拝殿・覆殿はは昭和三十四年に落成したものです。
境内には末社として、天祖神社・御嶽神社・稲荷神社のほかに、当神社に功労のあった人々を祀る祖霊社があります。
神田川沿いの台地や斜面には、先土器時代から古墳時代に至る遺跡が各所に発掘されていますが、当社の近くからも集落跡が発見され、石器・土器等の出土もあり、古くから人々が住んでいたことがわかります。
中世以降、村落の発達とともにこの地に神社が奉斎され、村の鎮守として尊崇を厚くしてきました。
昭和初期まで当社の宮司であった斎藤守高氏は、俗に「面芝居」ともいう神楽の元締で、芸名を「中村縫之助」といい、鼓・太鼓・三味線に合わせて踊る芸の師匠でありました。
この面芝居は、明治末から昭和初期にかけて流行しましたが今は絶え、残された数個の面が往時をしのばせています。(杉並区教育委員会掲示より)
「杉並の神社」による下高井戸八幡神社の由緒
下高井戸八幡神社
当社は「新編武蔵風土記稿」多摩郡下高井戸宿の条に八幡社とあって「除地、三段三畝十九歩、村の北の方にあり、僅なる祠を南向に立、村の鎮守にして宗源寺持」とある。当社は長禄元(一四五七)年の創建と伝えている。明治十二年の「神社明細帳」東京都公文書館蔵には当社について
下高井戸村字鎌倉橋村社八幡神社
一、祭神 応神天皇
一、由緒
長禄元年太田持資入道道灌江戸城建築の時、柏木左衛門尉ニ命ジテ鎌倉橋ニ鶴ヶ岡別殿ヲ勧請、令祈武運長久ヲト言リ、蓋其奉行精功ヲ感ジ里俗奉称柏木ノ宮ト云也。但勧請之年月旧記ニ不拠ト雖モ長禄元年丁丑之年也ト里老ノ口碑也、明治五年十一月被定村社。
一、社殿間数
本殿間口三間奥行四間
拝殿間口三間奥行四間
一、境内坪数 一反三畝十六歩
一、氏子数 百六十一戸
とあるが、今日の八幡神社は左のごとくである。
一、祭神 応神天皇
二、相殿 受持命
三、境内末社(四社)天祖神社(一殿)、御嶽神社(一殿)、稲荷神社(一殿)、祖霊社(一殿)
四、境内地 四三三坪
五、主要建物 社殿(木造銅葺)三三・七坪、神楽殿(木造銅葺)一三坪、社務所四〇坪
六、例祭日 九月二十八日
七、由緒
社伝では長禄元年の創建、太田道灌が江戸城築城の際、家臣柏木左衛門尉に命じて鎌倉の鶴岡八幡宮の神霊を勧請し建立したという。本殿(総欅造)は棟札に「弘化丁未四年十一月十日再建」とみえ、弘化四(一八七四)年の再建であるが、現在の社殿は昭和三十四年に落成した。明治二十五年には旧村内字四ツ割にあった稲荷神社(俚称田中稲荷、祭神受持神)を合併した(明治十二年には本殿間口六尺奥行三尺で境内坪数一畝十六歩を有していた)。かつて、八幡神社の別当は宗源寺であったが、稲荷神社の別当は本覚院であった。現在の末社には天祖神社・御嶽神社・稲荷神社のほかに当神社に功労のあった人々を祀る祖霊社がある。
昭和五十二年に境内末社を新築して境内地を整備したときに、八幡神社の「社号標」を鳥居の右側に建てた。社前には「文政十一(一八二八)年戌子年武州多摩郡下高井戸宿」と刻した燈籠一対があり、境内には乃木希典大将の彰忠碑がある。また多くの氏子から鳥居・狛犬・燈籠・手水舎が奉献されている。当社は明治五年十一月村社に列格、祭日は九月二十八日である。なお、現在の宮司の祖父(故斎藤守高氏)は中村縫之助という芸名をもつ神楽の元締で、古くから「面芝居」が伝わっていたが、昭和十年頃には絶え、今では「面芝居の面」が残っているにすぎない。(「杉並の神社」より)
下高井戸八幡神社の周辺図