遅野井民間信仰石塔|杉並区上井草の名所旧跡

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遅野井民間信仰石塔|旧遅野井村内に安置されていた聖観音塔と庚申塔

遅野井民間信仰石塔の概要

遅野井民間信仰石塔は、杉並区上井草にある名所・史跡です。遅野井民間信仰石塔は、上井草(旧遅野井村)内に安置されていた聖観音塔と庚申塔で、区画整理に伴い、大正14年に当地へ移して安置された石塔です。聖観音は、寛延2年(1749)の造立、庚申塔は享保7年(1722)の造立でいずれも当地より西方の道路傍に祀られていたといいます。なお遅野井村とは、地元村民の呼称で、江戸幕府公文書では上井草村としており、その範囲は現上井草・今川・善福寺にまたがる広大な地域でした。

遅野井民間信仰石塔
遅野井民間信仰石塔の概要
名称 民間信仰石塔
みどころ 史跡
入場時間 -
入場料 無料
住所 杉並区上井草2-17
備考 -




遅野井民間信仰石塔

遅野井民間信仰石塔は、上井草(旧遅野井村)内に安置されていた聖観音塔と庚申塔で、区画整理に伴い、大正14年に当地へ移して安置された石塔です。聖観音は、寛延2年(1749)の造立、庚申塔は享保7年(1722)の造立でいずれも当地より西方の道路傍に祀られていたといいます。なお遅野井村とは、地元村民の呼称で、江戸幕府公文書では上井草村としており、その範囲は現上井草・今川・善福寺にまたがる広大な地域でした。

杉並区掲示による遅野井民間信仰石塔について

民間信仰石塔
ここに建立されている石塔は聖観音塔と庚申塔です。いずれもかっては現在地よりやや西方の道沿いにありましたが、区画整理のため大正十四年この場所に移したものです。
向って右側の聖観音は「富士向観音」の名で親しまれたもので、寛延二年(一七四九)十一月十五日の造立です。観音様は現世利益を本願とし、種々の相に身を変えて衆生の悩みを救済してくれるといわれ、広く信仰されました。観音の中でも聖観音は最もポピュラーなもので、この塔もそうした信仰を持った観音講か念仏講と思われる講中によって造立されたものです。
左側の庚申塔は享保七年(一七二二)十月吉日の造立です。庚申信仰は庚申の夜に眠ると胎内の三尸の虫が罪を上帝に告げ、人の寿命を短かくするので、この夜は徹夜をすべきであるという道教説に由来するといわれています。信仰活動の中心は庚申の夜に、いわゆる庚申待をすることで、そのために各地に庚申講がつくられました。庚申塔は講の成立とか行事の成就などの時に供養としてつくられることが多かったといわれ、この塔も講中の人々によって、そうした折に造立されたものと思われます。
なお、二つの塔の銘文にある「遅野井村」は上井草村の別称です。また講の存在を示すものいえます。
この石塔はかっての上井草村の民間信仰を伝える貴重な文化財です。大切に守りつづけたいものです。(杉並区教育委員会掲示より)

遅野井について

(上井草村)
上井草村は、郡の北寄にあり、郷庄の唱なし、村名の起り詳にせず、いかなる故にや、古へより遅野井村と唱ふと云、されど、公より地頭へ賜ひし御朱印に上井草村とあり、地頭よりも公へかく書あげしに、村方にては今に遅野井と云、此邊より中野村のあたりまで廿ヶ村許は古き検地ゆへ、村高よりは町歩廣しとぞ、當所の開けし初め詳ならず、
御國の後今川氏に賜ふ、正保の頃のものには今川刑部知行とあり、今は丹後守といふ、村の廣さ東西十八町餘、南北十三町許、民家百十軒、東は下井草にて、南は上荻窪・松菴・吉祥寺の三村に續き、西は豊島郡關村及び竹下新田に接し、北も又同郡下石神井村に及ぶ、より)


遅野井民間信仰石塔の周辺図