大宮遺跡|都内で初の方形周溝墓が発掘された遺跡
大宮遺跡の概要
大宮遺跡は、杉並区大宮にある名所・史跡です。大宮遺跡は、都内で初の方形周溝墓が発掘された遺跡で、昭和44年に発掘・発見されました。方形周溝墓は弥生時代終末期に築造されたと推定され、近接して三基が発掘、当地には大宮八幡宮の旧社殿があったことから、方形周溝墓を祀っていた信仰が発展して大宮八幡宮の創建につながったのではないかともいいます。
名称 | 大宮遺跡 |
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みどころ | 都指定史跡 |
入場時間 | - |
入場料 | 無料 |
住所 | 杉並区大宮2-24-6 |
備考 | - |
大宮遺跡
大宮遺跡は、都内で初の方形周溝墓が発掘された遺跡で、昭和44年に発掘・発見されました。方形周溝墓は弥生時代終末期に築造されたと推定され、近接して三基が発掘、当地には大宮八幡宮の旧社殿があったことから、方形周溝墓を祀っていた信仰が発展して大宮八幡宮の創建につながったのではないかともいいます。
東京都教育委員会掲示による大宮遺跡について
大宮遺跡
昭和四十四年七月から八月にかけて杉並区教育委員会が実施した発掘調査によって、弥生時代終末期の方形周溝墓三基が近接して発見されました。西側から第一号墳、第三号墳、第二号墳と名付けられました。第一号基の主体部から軟玉製の勾玉1個とガラス小玉12個、周溝中から底部穿孔の弥生式土器10個体、第三号基の周溝中からは弥生式土器2個体がそれぞれ出土しました。
本遺跡で発掘調査された方形周溝墓群は、都区内で初めての発見の事例であり、方形周溝墓の主体部から豊富な玉類が出土したこと、主体部上に封土が認められてことは、同時代の墓制を研究する上でも極めて学術的価値が高いものとして注目されています。(東京都教育委員会掲示より)
東京都教育委員会掲示による大宮遺跡について
大宮遺跡
善福寺川の南崖上にあるこの地は、大宮遺跡の発掘地です。大宮遺跡は、都内で初の方形周溝墓が発掘されたことで有名です。
方形周溝墓は「方形の四方を溝で囲んだ土器時代の古代人の墓」で弥生時代末期のものとされます。昭和四十四年の発掘作業では三基の周溝墓が発見され、そこから土器や勾玉、ガラス玉等が見つかりました。
特に壺形土器の配列や底に穴をあけた形状(穿孔土器)からこの遺跡が住居跡でなく、尊貴な者(族長=祖神)の墓域、祭祀遺跡であることが判明しました。
当時、善福寺川沿いの低地では水田耕作が行なわれていた模様です。そして対岸の松ノ木遺跡には、多くの竪穴式住居跡が発見されています。つまり川や田んぼを挟んで住居と祭りの場を厳密に区分するという観念が当時から存在していたとしています。
この遺跡は、大宮八幡宮の旧社殿地ともほとんど重なり、この一帯が聖域とされていた古代からの信仰がのち大宮八幡宮の創建につながったと思われます。
大宮遺跡は発掘後埋め戻されましたが、出土品の一部は当宮清涼殿に展示してあります。(大宮八幡宮掲示より)
大宮遺跡の周辺図