塚山遺跡|杉並区下高井戸の名所旧跡

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塚山遺跡|旧石器時代から縄文時代中期の集落・環状集落

塚山遺跡の概要

塚山遺跡は、杉並区下高井戸にある名所・史跡です。塚山遺跡は、旧石器時代(約三万年前)から縄文時代中期(約三千五百年前)にかけての集落跡です。昭和初期の調査により、縄文時代中期の環状集落だと判明、二百基程度の住居址が埋蔵されているといいます。昭和59年以降の調査では、当地が旧石器時代の局部磨製石斧とナイフ形石器が出土したといいます。

塚山遺跡
塚山遺跡の概要
名称 塚山遺跡
みどころ 史跡
開園時間 -
住所 杉並区下高井戸5-23-12
備考 -




塚山遺跡

塚山遺跡は、旧石器時代(約三万年前)から縄文時代中期(約三千五百年前)にかけての集落跡です。昭和初期の調査により、縄文時代中期の環状集落だと判明、二百基程度の住居址が埋蔵されているといいます。昭和59年以降の調査では、当地が旧石器時代の局部磨製石斧とナイフ形石器が出土したといいます。

杉並区教育委員会掲示による塚山遺跡について

この遺跡は、区立塚山公園敷地一帯を中心とした旧石器時代(約三万年前)から縄文時代中期(約三千五百年前)にかけての集落跡です。
遺跡は、神田川と湧水によって侵蝕形成された舌状台地上全域に分布しており、遺跡の一部は公園南側の住宅地域にまで広がるものと推定されます。
昭和初期に発見されたこの遺跡は、代々所有者が替わった後も開発を免れ、全国でも屈指の縄文時代中期の環状集落として保存されてきました。
環状集落は、数世代から数十世代に亘って同一台地上の転々と地点を移動しながら集落を構成するため、最終的に台地の中央部(祭祀の場)以外は、住居で埋め尽くされてしまう特徴をもっています。また、本遺跡の場合は、数少ない環状集落である上に、台地縁辺部から内側に向かって時代が新しくなる傾向と未調査部分を含め、二百基程度の住居址が埋蔵されていることが解りました。
この下高井戸塚山遺跡は、縄文時代中期の環状集落として著名でしたが、昭和五十九年からの発掘調査では、ローム層中からナイフ形石器を初めとする多数の旧石器時代の遺物が出土しました。特に、ローム第X層下部から出土した局部磨製石斧とナイフ形石器は、出土位置および形態から推定すると武蔵野台地では最古の石器と思われます。
なお、この局部磨製石斧とナイフ形石器は、杉並区指定文化財とされ、区立郷土博物館に縄文土器とともに展示してあります。(杉並区教育委員会掲示より)

境内掲示による塚山遺跡について

塚山遺跡は縄文時代中期(約3500〜約4500年前)の集落跡で、昭和10年秋に江坂輝彌氏によって紹介されました。その後、昭和13年に明治大学の後藤守一氏によって、初めて本格的な発掘調査が行われ4軒の竪穴住居跡が発見されました。
昭和44年10月には、江坂氏の指導のもと区教育委員会によって、台地の東側斜面が調査され住居跡が1軒発見されました。また、昭和48年秋には西側斜面が調査され住居跡20軒が発見されました。これらの調査により、塚山遺跡が縄文時代中期の環状集落であることがわかりました。(境内掲示より)


塚山遺跡の周辺図