阿谷山世尊院|中野宝仙寺が移転する前の旧地
世尊院の概要
真言宗豊山派寺院の世尊院は、阿谷山正覚寺と号します。世尊院の創建年代は不詳ですが、当地周辺の阿佐谷には中野宝仙寺がかつてあり、室町時代に宝仙寺が中野へ移転した後に、その子寺であった世尊院が当地に残されたといいます。
山号 | 阿谷山 |
---|---|
院号 | 世尊院 |
寺号 | 正覚寺 |
住所 | 杉並区阿佐ヶ谷北1-26-2 |
本尊 | 不動明王像 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
世尊院の縁起
世尊院の創建年代は不詳ですが、当地周辺の阿佐谷には中野宝仙寺がかつてあり、室町時代に宝仙寺が中野へ移転した後に、その子寺であった世尊院が当地に残されたといいます。
新編武蔵風土記稿による世尊院の縁起
(阿佐ヶ谷村)世尊院
除地、四百五十坪、村の西に寄てあり。阿谷山正覚寺と号す。新義真言宗にて郡中中野村宝仙寺末、客殿七間に六間南向、本尊不動は木の坐像にして長三尺八寸なるを安ず。開山開基は詳ならず。
観音堂。本堂の右にあり。三間四方の堂なり。観音の像は立像にして長九寸。
閻魔堂。門の前にあり。二間に三間、閻王は木の坐像にて長三尺ばかり。(新編武蔵風土記稿より)
杉並区教育委員会掲示による世尊院の縁起
世尊院は阿佐谷山正覚寺ともいい、真言宗豊山派の寺で本尊は不動明王です。
創立は、現在中野区にある宝仙寺が阿佐谷から移転した頃と伝えられ、武蔵名勝図会には、その時代を永享元年(1429)頃と記されています。
この移転以前の宝仙寺は、現在の阿佐谷南三丁目九番付近に山門をかまえ、当時の寺領は、中央線の阿佐谷駅付近にまで至る大寺であったといわれています。
この宝仙寺が移転した後に、宝仙寺の子寺で、地元村民の寺として残されたのが世尊院です。
本尊の不動明王像、観音堂の聖観世音菩薩立像や阿弥陀如来坐像は、室町様式のうかがえるりっぱな仏像であります。
なお明治二十二年から大正十一年まで、旧杉並村の村役場がこの寺の本堂におかれていました。
現在の本堂は、昭和十年に再建されたものですが、都道一三三号線建設のため、昭和四十八年現在地に移築し、今日に至っております。(杉並区教育委員会掲示より)
世尊院所蔵の文化財
木造聖観音菩薩立像一軀
一木造りのこの像は、摩滅は有りますが、腰を低めにどっしりと安定感のある美しい姿の像です。大きく弧をなす眉、切れながの目、すっきりと通った鼻筋が秀麗な相貌を示しています。両側に垂れた衣文、右腕を下に伸ばし、指先に天衣をかけた形は、通常の観音像にはあまりみられない形です。また、木目が左右相称に浮きだす木取の巧みさは、本格的な専門仏師の力量をうかがわせるものです。製作年代は室町時代と推定されますが、鎌倉時代の作風を濃厚に反映した優れた逸品です。(杉並区教育委員会掲示より)
世尊院の周辺図