慈雲山光明院|南北朝時代の草創、荻寺
光明院の概要
真言宗豊山派寺院の光明院は、慈雲山荻寺と号します。光明院の創建年代は不詳ながら、行基作の仏像を背負った遊行中の僧が、この地を通りかかったところ急に仏像が重くなり、荻の草堂を作って仏像を安置、当寺を創建したと伝えら、草創は南北朝時代ではないかといいます。かつては荻が鬱蒼と繁り、荻寺と呼ばれていたといいます。
山号 | 慈雲山 |
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院号 | 光明院 |
寺号 | 荻寺 |
住所 | 杉並区上荻2-1-3 |
本尊 | 千手観音坐像 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
光明院の縁起
光明院の創建年代は不詳ながら、行基作の仏像を背負った遊行中の僧が、この地を通りかかったところ急に仏像が重くなり、荻の草堂を作って仏像を安置、当寺を創建したと伝えら、草創は南北朝時代ではないかといいます。かつては荻が鬱蒼と繁り、荻寺と呼ばれていたといいます。
杉並区教育委員会掲示による光明院の縁起
慈雲山光明院は、真言宗豊山派の寺院で通称「荻寺」と呼ばれ、荻窪という地名もその名に由来するといわれています。
当寺蔵の「縁起石碑」によれば、和銅元年(708)行基作の仏像を背負った遊行中の僧が、この地を通りかかったところ急に仏像が重くなり、荻の草堂を作って仏像を安置したのが開創と伝えています。
本尊の千手観音は南北朝期の作であり、また境内から本尊と同時代に作られたとみられる五輪塔や室町期の板碑などが出土しており、当寺の開創は南北朝にさかのぼるものと考えられます。
今も寺の周辺に残る「四面堂」「堂前」の地名も、当寺の御堂に起源をもつといわれています。
本尊の千手観音像は、俗に「荻窪の観音様」の名で近在の人々に親しまれ、大正時代までは本尊の写し観音が地域を巡業する行事が行われ、信仰を集めたといわれています。
なお、嘉永3年(1850)再建された本堂は現在の位置よりも西南側にありましたが、明治21年(1888)甲武鉄道(現中央線)建設のため、現在地に移されました。(杉並区教育委員会掲示より)
新編武蔵風土記稿による光明院の縁起
(上荻窪村)光明院
除地、1町8段1畝24歩。青梅街道の内にあり。慈雲山と号す。新義真言宗にて中野村宝仙寺の末。客殿5間半に6間東向なり。本尊千手観音の坐像を安す。長3尺8寸、開山開基詳ならず。されど当寺世代の僧権大僧都弁教は、寛文6年3月13日示寂せりと云へば、それより前の起立なること知るべし。(新編武蔵風土記稿より)
光明院の周辺図