日王山長仙寺|室町時代制作の不動明王立像
長仙寺の概要
真言宗豊山派寺院の長仙寺は、日王山阿遮院と号します。長仙寺は、中野宝仙寺の住僧であった真秀(享保6年1721没)が、宝永元年(1704)当地に創建したといいます。
山号 | 日王山 |
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院号 | 阿遮院 |
寺号 | 長仙寺 |
住所 | 杉並区高円寺南3-58-4 |
本尊 | 不動明王 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
長仙寺の縁起
長仙寺は、中野宝仙寺の住僧であった真秀(享保6年1721没)が、宝永元年(1704)当地に創建したといいます。
杉並区教育委員会掲示による長仙寺の縁起
日王山阿遮院長仙寺は、真言宗豊山派の寺で不動明王を本尊としています。 寺伝によると、宝永元年(1704)、中野宝仙寺の住僧であった真秀(享保6年1721没)が、この地に一庵を建て、日王山阿遮院と号したのが開創といわれます。
その後、寺容も整い長仙寺と称してきましたが、寛政8年(1796)本堂を焼失し、五十余年を経て嘉永3年(1850)、明情和尚の代に再建されました。
昭和になり、高円寺町の発展とともに寺勢再興し、昭和10年本堂を新築しましたが、同20年4月戦災のため惜しくも堂宇を全焼しました。現在の本堂(寝殿造り)は、昭和44年に建立されたものです。
本尊の不動明王像は「新編武蔵風土記稿」に「本尊不動にて長1尺8寸の立像を安す」と記されているように、木像55センチメートル程の立像で、室町時代の作といわれています。
境内に安置されている如意輪観音の石仏は、享保9年(1724)の造立で、裏に「高円寺村観音講中同行男女百人」という銘文が刻まれています。観音様がほほを押え、いかにも歯が痛むようなお姿をしているので、誰いうともなく歯が痛むときお参りすれば、痛みを代わって受けてくださるとして近在の信仰をあつくし、人々から親しまれました。(杉並区教育委員会掲示より)
新編武蔵風土記稿による長仙寺の縁起
(高円寺村)長仙寺
除地、三段八畝十歩、高円寺より二三町も西の方にあり。日王山阿遮院と号す。新義真言宗にて、郡中中野村宝仙寺末。本堂は寛政八年祝融の災に罹りて、今は三間四方の仮屋なり。本尊不動にて長一尺八寸の立像を安す。開山詳ならず、住僧歴代の中に永正と云あり。碑碣最も古く見れば、是開山なるか。開基は村民武兵衛といふ者の先祖なるよし、其年歴法諡を傳へず。位牌の中正保五年など云あれば、これより以前開けし寺なることは勿論なり。(新編武蔵風土記稿より)
長仙寺所蔵の文化財
- 木像不動明王立像(杉並区指定文化財)
長仙寺の周辺図