江月山海雲寺|細川越中守子息が開基、明治43年当地へ移転
海雲寺の概要
曹洞宗寺院の海雲寺は、江月山と号します。海雲寺は、細川越中守子息(渓谷院殿月山窓雲大童子)を開基、甘楽郡菅原村陽雲寺の天徳寛隆を開山として慶長16年(1611)八丁堀に創建、寛永12年浅草八軒寺町(寿町)へ移転、区画整理に伴い、明治43年当地へ移転したといいます。
山号 | 江月山 |
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院号 | - |
寺号 | 海雲寺 |
住所 | 杉並区成田東4-18-9 |
本尊 | 木造釈迦如来坐像 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
海雲寺の縁起
海雲寺は、細川越中守子息(渓谷院殿月山窓雲大童子)を開基、甘楽郡菅原村陽雲寺の天徳寛隆を開山として慶長16年(1611)八丁堀に創建、寛永12年浅草八軒寺町(寿町)へ移転、区画整理に伴い、明治43年当地へ移転したといいます。
杉並区教育委員会掲示による海雲寺の縁起
当寺は、江月山と号する曹洞宗の寺院で、本尊は釈迦如来坐像です。
慶長十六年(一六一一)八月、江戸八丁堀(現中央区八丁堀)の地を拝領して開創されましたが、その後、寛永十二年(一六三五)に御用地となったので同年五月、浅草八軒寺町(現台東区寿町)の地に移転し、明治四十三年(一九一〇)、区画整理のため現在地に移転しました。
開山は、上野国(群馬県)甘楽郡菅原村陽雲寺の天徳寛隆で開基は渓谷院殿月山窓雲大童子(細川越中守子息)です。現在は慧越派または海雲寺派と称される曹洞宗の一派をなしています。
本堂は明治二十年(一八八七)に建立され、山門は江戸城内の紅葉山から移転したといわれる由緒ある建造物です。
本堂の左手の御堂には木食上人像が安置され、境内の観音像には寛政十年(一七九八)の銘と「武州多摩郡田はた村内せき口大場源左衛門」の造立者名がみられます。(杉並区教育委員会掲示より)
御府内寺社備考による海雲寺の縁起
上野国耳楽部菅原村陽雲寺末、浅草八軒寺町
江月山海雲寺(境内拝領地五百八拾六坪六合)
慶長十六辛亥年八月廿四日、南八丁堀ニ而寺地拝領仕。其後寛永十二乙亥年五月廿二日当所江替地拝領仕引移り申候。
開山天徳寛隆和尚、寛永八辛未年五月廿七日寂。
開基谿谷院殿月山窓雪大童子、俗名細川越中守殿息子。寛永十三丙子十二月十二日卒。
本堂
本尊釈迦如来木像
鎮守稲荷社
以上乙酉書上
寛永九年江戸図に茅場町に海雲寺といふあり。則此寺にて後爰に移さる。(改撰江戸志)(御府内寺社備考より)
海雲寺所蔵の文化財
- 山門(江戸城内の紅葉山から移転したといわれる建造物)
- 寛政10年銘石造馬頭観音菩薩坐像
- 画家巻掖山墓
海雲寺の周辺図