平沢八幡社|天王さま、旧村社
平沢八幡社の概要
平沢八幡社は、あきる野市平沢にある神社です。平沢八幡社の創建年代等は不詳ながら、滝山城主北条氏照が、二宮神社、小宮神社と共に守護神三社として崇敬、このことから、地名森根(守りの根)としたといいます。江戸期には平沢村の鎮守として祀られ、明治3年村社に列格していました。
社号 | 八幡社 |
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祭神 | 誉田別天皇、伊邪那岐大神 |
相殿 | 天照皇大神 |
境内社 | - |
住所 | あきる野市平沢森根449 |
祭日 | 9月15日 |
備考 | - |
平沢八幡社の由緒
平沢八幡社の創建年代等は不詳ながら、滝山城主北条氏照が、二宮神社、小宮神社と共に守護神三社として崇敬、このことから、地名森根(守りの根)としたといいます。江戸期には平沢村の鎮守として祀られ、明治3年村社に列格していました。
東京都神社名鑑による平沢八幡社の由緒
創建年代不詳。古く八幡宮と称し、武将の崇敬厚く、北条氏照が滝山城主となって、二宮神社、小宮神社とともに、滝山城の方位戌亥の守護神三社と称され、なかでも祭神が武神のゆえに特に尊崇された。所在地名の森ノ根は古くは守の根と書き、「守り」の約、根は「ねもと」の約で、滝山城の守り神の鎮りませる地域として、北条氏照の言葉によると伝えられる。(東京都神社名鑑より)
「秋川市史」による平沢八幡社の由緒
八幡社 平沢四四九番地
平沢の鎮守であって、古くから八幡宮といわれ、鎌倉街道沿いに鎮座していたのである。創建年月などは不詳である。
北条氏照が滝山城主となった時、二宮神社、小宮神社と共に、当社は滝山城の方位戌亥の方に直線上に並ぶので、守護神三社と称されたという。中でも当社は祭神が武神だったので特に尊崇されたという。
御祭神は誉田別天皇、伊弉諾大神、天照皇大神(相殿)となっている。
『新編武蔵風土記稿』には、「太梅院の持、村の鎮守なり」とある。江戸時代は社務は太梅院が行つていたようであるが、明治元年(一八六八)三月には神仏分離令が出されて、最寄神官において兼務されていた。明治三年(一八七〇)九月村社となった。
例祭日は九月十五日である。(「秋川市史」より)
新編武蔵風土記稿による平沢八幡社の由緒
(平澤村)
八幡社
社地年貢地、一段、西の方村境にあり、小社、太梅院の持、村の鎮守なり。(新編武蔵風土記稿より)
平沢八幡社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「秋川市史」
- 東京都神社名鑑