小宮神社|あきる野市草花の神社

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小宮神社|平山季重創建、小宮上野助憲明奉納の鐘

小宮神社の概要

小宮神社は、あきる野市草花(小名)にある神社です。小宮神社の創建年代等は不詳ながら、承元元年(1207)に平山季重が社殿を建立したと伝えられ、小宮領800石の総鎮守だったといいます。室町時代には山ノ内上杉一族小宮上野助憲明が崇敬し、寛正4年(1463)銘の鐘を奉納、その後の領主大石氏、北条氏照も崇敬、慶安2年(1649)には江戸幕府より社領7石の御朱印状を受領、明治6年には村社に列格しています。小宮上野助憲明が奉納した鐘は、国認定重要美術品です。

小宮神社
小宮神社の概要
社号 小宮神社
祭神 伊弉那岐大神
相殿 -
境内社 天神社、八幡社、煩乃宇斯社、神明社
住所 あきる野市草花275
祭日 9月23日
備考 -



小宮神社の由緒

小宮神社の創建年代等は不詳ながら、承元元年(1207)に平山季重が社殿を建立したと伝えられ、小宮領800石の総鎮守だったといいます。室町時代には山ノ内上杉一族小宮上野助憲明が崇敬し、寛正4年(1463)銘の鐘を奉納、その後の領主大石氏、北条氏照も崇敬、慶安2年(1649)には江戸幕府より社領7石の御朱印状を受領、明治6年には村社に列格しています。

東京都神社名鑑による小宮神社の由緒

創立年代不詳。一説に承元年中(一二〇七ー一一)平山季重が社殿を建立したと伝える。当社別当大行寺が再度の火災により書類旧記等烏有に帰して、古を知ることができない。中世鎌倉管領山ノ内上杉一族小宮上野助憲明がこの地を領し、寛正四年(一四六三)同氏献納の鯨鐘は今も現存し、当社の宝物となっている。慶安二年(一六四九)八月、徳川氏本村地内において御朱印地七石(大行寺十二石)を社領として寄付。明治維新のさいまで、当村大行寺が別当職を務めたが、明治二年九月神職を置き、社務を奉仕し、小宮大明神を小宮神社と改めた。昭和五十年八月、境内より平安朝以前の住居跡、土器等が発掘された。(東京都神社名鑑より)

「秋川市史」による小宮神社の由緒

小宮神社 草花二九八一番地
草花の字北小宮、通称門前に鎮座している古社である。創建年代は不詳であるが、一説によると、鎌倉時代の承元元年(一二〇七)平山季重によって社殿を建立したと伝えられている。
小宮明神は多摩郡小宮領八〇〇石の総鎮守として、重きをなしていて、領内の信仰も厚かった。室町時代には鎌倉管領上杉氏に縁りがあったと思われる小宮上野介憲明がこの地を領して祈願所として、社殿を再建したと伝えている。寛正四年(一四六三)には党鐘一口を奉納している。
当社は、この地方に大石氏の勢力がのびてくると大石氏の祈願所となり、後北条氏の時代は、また後北条氏の祈願所にもなっていたのである。江戸時代になると、慶安二年(一六四九)八月幕府から社領として御朱印七石を受領していた。
明治二年(一八六九)小宮明神を、小宮神社に改め、同六年(一八七三)村社となった。
御祭神は伊邪那岐大神である。
例祭日は九月二十三日。文化財には、先にあげた梵鐘がある。寛正四年(一四六三)にに小河郷重能の作で、高さ約九〇・五センチ、直径約五〇・五センチ、厚さ約三センチ、次のような銘文が刻まれている。
(銘文省略)
蒲牢(ほろう)は焚鐘のことである。なおこの小河郷重能は青梅市友田の御獄神社の鰐口も製作している。当時有名な鋳工であったのであろう。上野介憲明は小宮氏で、小宮十八騎の一人だといわれる。『新編武蔵風土記稿』も『武蔵名勝図会』も、上野介憲明を上杉上野介憲明としている。これは古く『武蔵野歴史地理』の著者が指摘したように誤りである。
市の指定無形民俗文化財に小宮神社獅子舞がある。創始年代は明らかでないが、天保年間(一八三〇~四三)といわれている。当初は雨乞いのために奉納されたが、現在は例祭に奉納されるようになった。当時の獅子頭は雨乞いのためであったので、祭礼に雨が降らないように現在では使われていない。(「秋川市史」より)

新編武蔵風土記稿による小宮神社の由緒

(上草花村)
小宮明神社
小名門前にあり、社領七石の御朱印を附せらる、村内の鎮守なり、本社は七尺に九尺、拝殿二間に四間、南向なり、祭神伊弉諾尊にて、本地文殊の木像を神體とす、長七寸ばかり、里人の話に當社は、小田原北條の家人小宮上野介憲明と云もの勧請せり、この憲明は小宮十八騎のその一なりといふ、按に鐘銘には上杉上野介憲明とあり、この人は寛政の頃の人なり、されど上杉家譜を閲るに憲明と云人なし、もし家譜には脱せるか、その傳考ふるによしなし、是によれば小田原北條の家人といへるは傳へ誤りとみえしなり、此人上杉の一族にて小宮といひしと見えたり、例祭年々十二月廿五日、餅ねりの神事あり、その日より別當大行寺へ不浄に觸たるものは入ことを許さず、住僧はもとより潔斎す、同二十八日幣帛を奉り、則かの餅を供す、僧のものいみは正月に至る、この内浄不浄によりて奇瑞ありと云、又九月廿五日大般若經を轉讀せりと、前に石階三十一級あり、是を登りて鳥居二基をたつ、拝殿の額に思無邪の三字を扁す、大門の長さ百間ばかり、社地に圓徑一尺八寸許なる鐘をかく、その銘に
武州多西郡小宮大明神御寶前、
銘曰
大器雖晩 早成刻銘 蒲罕忽吼 鳥戰彰形
警夕應律 鳴霜入聴 音含二徳 四海安寧
寛正四年癸未林鐘日
清叟名
大檀越上杉上野介憲明
願主 別當 秀全
大工 小河郷 重能(新編武蔵風土記稿より)


小宮神社所蔵の文化財

  • 小宮神社の銅鐘(国認定重要美術品)

小宮神社の銅鐘

小宮神社の創建年代は明らかではありませんが、一説には鎌倉時代の承元元年(一二〇七)に平山季重が社殿を建立したと伝えられます。また、室町時代には鎌倉管領上杉氏に縁があったと思われる小宮上野介憲明がこの地を領有して祈願所とし、社殿を再建したと伝えられています。
当神社には銅鐘が保存されています。小河郷重能が製作し、寛正四年(一四六三)に上野介憲明が奉納したものであることが側面に刻まれています。
小河郷重能は青梅市友田の御嶽神社の鰐口も製作しており、当時有名な鋳物師であったと考えられます。室町時代の中頃、多摩地域で最も早く、この地域に鋳物師が存在していたことは、多摩の中世史を考察する上で重要です。(あきる野市教育委員会掲示より)

小宮神社の周辺図

参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「秋川市史」
  • 東京都神社名鑑

  • 二宮神社(滝山城の守護神三社)
    あきる野市二宮2252
  • 平沢八幡社(滝山城の守護神三社)
    あきる野市平沢449