石原八幡神社|太田善右衛門の祖先が勧請、下石原宿の鎮守社
石原八幡神社の概要
石原八幡神社は、調布市富士見町にある八幡神社です。石原八幡神社の創建年代等は不詳ながら、当地領主太田善右衛門の祖先が勧請、下石原宿の鎮守社だったといいます。明治4年村社に列格、明治41年無格社に編入されたものの、大正4年無格社稲荷社を合祀、昭和15年再び村社に昇格したといいます。
社号 | 八幡神社 |
---|---|
祭神 | 誉田別尊 |
相殿 | 倉稲魂神 |
境内社 | 神明神社、御嶽神社、稲荷神社 |
住所 | 調布市富士見町2-1-11 |
備考 | 旧村社 |
石原八幡神社の由緒
石原八幡神社の創建年代等は不詳ながら、当地領主太田善右衛門の祖先が勧請、下石原宿の鎮守社だったといいます。明治4年村社に列格、明治41年無格社に編入されたものの、大正4年無格社稲荷社を合祀、昭和15年再び村社に昇格したといいます。
新編武蔵風土記稿による石原八幡神社の由緒
(下石原宿)
該当記載なし。
(下飛田給村)八幡社
除地、四段三畝六歩、村の東字裏道にあり、本社四尺の宮造りにて南に向ふ、覆屋二間に二間半神體は白幣なり社前に木の鳥居をたてり下石原宿の鎮守にして例祭年々九月朔日、社地には杉松生茂れり鎮座の年代を傳へず、下石原宿常演寺持 (新編武蔵風土記稿より)
東京都神社名鑑による石原八幡神社の由緒
往昔より下石原の鎮守社で、当地領主太田善右衛門が祖先太田氏の勧請にかかったものといわれ、当所太田家の菩提寺源正寺より祭礼のさい獅子舞を出す古例がそれを実証している。(東京都神社名鑑より)
北多摩神社誌による石原八幡神社の由緒
往昔より下石原の鎮守社である。当地領主太田善右衛門が祖先太田氏の勧請にかかわったものといわれ、当所太田家の菩提寺源正寺より祭礼の際獅子舞を出す古例がそれを実証している。明治四年村社、同四十一年無格社に編入、大正四年無格社稲荷社を合社、昭和十五年再び村社に列せられた。(北多摩神社誌より)
「調布市百年史」による石原八幡神社の由緒
八幡神社(富士見町一丁目)
旧下石原宿のほぼ中央、旧甲州街道に参道口をもっている。国道二〇号線が社前を通るようになって、旧甲州街道口にあった八幡神社の石標もそこに移された。
<祭神>誉田別尊(応神天皇)
<配神>字迦之御魂神
もと稲荷前にあった稲荷社祭神で、大正四年一月三〇日合祀された。境内末社に御獄神社、神明神社の二つがある。
古くは若宮八幡宮(社前の鳥居に掲げられた社号には八幡宮とある)と称せられた。一般に、若宮を冠したときの祭神は仁徳天皇で、『明細帳』によると、国府八幡宮に対しての称号であろうとしている。明治初年に、現在の社号に改称された。(「調布市百年史」より)
石原八幡神社所蔵の文化財
- 八幡神社獅子頭一組(市郷土資料)
八幡神社獅子頭一組
この獅子頭は、王獅子・中獅子・女獅子の三組で一組になっており、旧下石原地区の鎮守、八幡神社の宝物である。この獅子頭を用いて行われる獅子頭は、元禄時代、源正寺の住職が、村祭りの興隆と若者の健全育成を願って始めたものといわれ、この獅子頭はその時に住職自らが作ったものと伝えられている。また、昔悪疫が流行したときこの獅子頭をかぶって村中を舞い歩き、悪病を追い払ったとも伝えられている。
この獅子頭は、現在も祭礼の時に村中を練り歩く「道中」の舞と、社前で奉納される「土俵」の舞に用いられている。永く村人の心に融合してきた貴重な獅子舞である。(調布市教育委員会掲示より)
石原八幡神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 東京都神社名鑑
- 北多摩神社誌(北多摩神道青年会むらさき会)