法性院|平成3年地元有志により再建
法性院の概要
法性院は、宗教法人ではありませんが、当地と深大寺との深い関係を残す堂宇です。当地には古くから深大寺の寺中寺があったといいます。新編武蔵風土記稿によると、「絵馬堂跡。深大寺の東の方なり、乃同寺の馬堂ありし所なりと云、今に字を絵堂と云」と記載されている地が該当します。昭和41年までは観音堂と庫裡があったものの焼失してしまい、平成3年絵堂農業生産組合員一同・絵堂共有墓地使用者一同により建立されたとあります。名称については、旧深大寺塔頭の法性院(今は廃して堂宇もなし、新編武蔵風土記稿より)を引き継いだといいます。
山号 | - |
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院号 | 法性院 |
寺号 | - |
本尊 | 阿弥陀如来立像 |
住所 | 調布市深大寺南町5-9 |
宗派 | 非宗教法人 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
法性院の縁起
当地には古くから深大寺の寺中寺があったといいます。新編武蔵風土記稿によると、「絵馬堂跡。 深大寺の東の方なり、乃同寺の馬堂ありし所なりと云、今に字を絵堂と云」と記載されている地が該当します。昭和41年までは観音堂と庫裡があったものの焼失してしまい、平成3年絵堂農業生産組合員一同・絵堂共有墓地使用者一同により建立されたとあります。名称については、旧深大寺塔頭の法性院(今は廃して堂宇もなし、新編武蔵風土記稿より)を引き継いだといいます。
境内掲示による法性院の縁起
法性院について
ここには古くから寮と呼ばれた深大寺、寺中の寺(明治5年の古文書によると2間*2.5間の観音堂と3.5間*4.5間の庫裡)があったが、昭和41年の春不幸にして罹災焼失、以来再建の論が関係者間で度々起こったが実現されずに現在に至っていた。このたび絵堂農業生産組合の集会所建築に併せ、関係者全員の賛同により旧地に再現をすることができた。
当地は三百余年の歴史をもつ地域共有の墓地用地で、また古書によると「深大寺絵馬堂跡と言われ、それに伴い字名を絵堂と言う」とされた当地域名発祥の地で、更に古くは深大寺不動堂近くに移され楷悌学舎となり現深大寺小学校へと発展をした。多聞院跡とも記されている由緒あるところである。
堂宇名も当所、絵馬堂、多聞院、観音堂等々の論があったが、深大寺古文書、武蔵名所図絵、新編武蔵風土記稿等に記されている深大寺塔頭の多聞院、池上院、真乗院、法性院の四院名中、池上院は現存し、多聞院は不動堂周辺に再建が計画され、また真乗院は寺の西と記されていることなどから当時すでに堂宇もなく名称も忘れ去られている「法性院」名を記念することを、深大寺より教示を受けここに堂宇名とすることとした。
安置仏は繊細佳麗な阿弥陀如来立像で、著名な仏師、友田光重氏作による像を深大寺より遷座入仏をし本尊仏としている。
堂宇は小規模のものであるが地域の歴史を秘めた院である。今後永く地域住民のよりどころとして愛されることを心から念願し堂宇再建の由来とする。(境内掲示より)
法性院の周辺図