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下里阿弥陀堂|東久留米市下里にある堂宇

下里阿弥陀堂の概要

下里阿弥陀堂は、東久留米市下里にある寺院堂宇です。下里阿弥陀堂は、寛政8年(1796)浄牧院21世菎山仙玉大和尚が入仏供養を行ない観音堂として創始、嘉永7年(1854)に、薬王山神宮寺(明治維新に大円寺に合併)の誠心が阿弥陀如来像を奉納、養老庵として再建、その後阿弥陀堂となったといいます。

下里阿弥陀堂
下里阿弥陀堂の概要
山号 -
院号 -
寺号 阿弥陀堂
住所 東久留米市下里1-14-2
本尊 阿弥陀如来像
宗派
葬儀・墓地 -
備考 -



下里阿弥陀堂の縁起

下里阿弥陀堂は、寛政8年(1796)浄牧院21世菎山仙玉大和尚が入仏供養を行ない観音堂として創始、嘉永7年(1854)に、薬王山神宮寺(明治維新に大円寺に合併)の誠心が阿弥陀如来像を奉納、養老庵として再建、その後阿弥陀堂となったといいます。

東久留米市史による下里阿弥陀堂の縁起

江戸時代末ごろから、下里村の念仏講がこの堂で行われていたようで、境内入口には、「武州多摩郡下里邑惣村念仏講中」と刻んだ子育地蔵尊(天保一一年、一八〇四)や「念仏講中」と記す地蔵大菩薩(明治一四年)が安置されており、現在でも旧家の御年寄りによって念仏講は続けられている。
阿弥陀堂は、もと観音堂として建てられたようで、堂内に残る棟札には、「奉上棟観音堂一宇南謄州大日本国武蔵国片山庄石神邑願主了本敬白」と記されており、浄牧院二一世菎山仙玉大和尚により寛政八年(一七九六)入仏供養が行われている。
その後、嘉永七年(一八五四)に、薬王山神宮寺(明治維新に大円寺に合併)の誠心により阿弥陀如来像が奉納され、養老庵として再建されている。したがってこの時から阿弥陀堂と改称されたものとみられる。
現在、堂は墓地に面し、西面して建てられ、二間半四方、宝形、鉄板葺で、正面に向拝を付ける。向拝は後補のもので新しいが、堂の柱上の絵様肘木からすれば、寛政ごろのものと思われる。嘉永の再建時には、傷んだ側回りや屋根の補修を行ったのであろう。(東久留米市史より)


下里阿弥陀堂の周辺図

参考資料
  • 東久留米市史