田無山総持寺|関東三十六不動、多摩八十八ヶ所
総持寺の概要
真言宗智山派寺院の総持寺は、田無山と号します。総持寺の創建年代は不詳ですが、元和年間(1615~23)に法印権大僧都俊栄和尚が谷戸に法界山西光寺として創建、慶安年間(1648~51)当地へ移転したと伝えられます。江戸時代には尉殿権現社(現田無神社)の別当寺を勤めていました。明治維新後、近隣の密蔵院・観音寺と合併、田無山総持寺と改称しました。関東三十六不動10番、多摩八十八ヶ所33番です。
山号 | 田無山 |
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院号 | - |
寺号 | 総持寺 |
住所 | 西東京市田無町3-8-12 |
本尊 | 大日如来像 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 境外仏堂:観音寺、関東三十六不動10番、多摩八十八ヶ所33番 |
総持寺の縁起
総持寺の創建年代は不詳ですが、元和年間(1615~23)に法印権大僧都俊栄和尚が谷戸に法界山西光寺として創建、慶安年間(1648~51)当地へ移転したと伝えられます。江戸時代には尉殿権現社(現田無神社)の別当寺を勤めていました。明治維新後、近隣の密蔵院・観音寺と合併、田無山総持寺と改称しました。
新編武蔵風土記稿による総持寺の縁起
西光寺
除地、高6石2斗9升4合。小名宿にあり。同宗、同末(真言宗新義、豊島郡石神井村三宝寺末)、法界山大乗院と号す。本堂8間に5間半南向。本尊不動木の立像にて長2尺許。開山詳ならず。
観音堂
本堂の左にあり。2間に3間半、観音は木の立像長1尺5寸許。(新編武蔵風土記稿より)
合併した密蔵院について
除地、高3石5斗5升。小名宿にあり。真言宗新義、豊島郡石神井村三宝寺の末。楽王山常楽寺と号す。本堂7間に6間南山、本尊薬師。木の坐像にて長8寸。開山詳ならず。
弁天社。本堂に向て左の方にあり、小祠。
地蔵堂。本堂に向て右の方にあり。堂2間四方、木の立像なる六地蔵を安置す。共に長1尺ばかりあり。(新編武蔵風土記稿より)
総持寺所蔵の文化財
- 総持寺のケヤキ(西東京市指定文化財)
総持寺のケヤキ
ケヤキはニレ科の落葉高木です。武蔵野は、古くから風の強いところとして有名でしたが、この強い風を効果的に防いだのがケヤキなどの雑木林でした。また、ケヤキは燃えにくく、火に強いことから防火にも役立ち、材が硬いことから建築資材や農具の材料などにも用いられました。
古文書によれば西光寺(現総持寺)本堂は、築後140~150年を経て大破したため、本堂建て替え計画が天保11年(1840)から持ち上がり、西光寺の住職恵亮や田無村名主下田半兵衛が中心となり、準備が進められました。
そして、苦心の末、嘉永3年(1850)に本堂は完成し、普請成就供養が盛大に行われました。
その落成を紀念して、境内にケヤキほか数種の樹木を植栽しましたが、その中の一樹が本樹であると言い伝えられています。(西東京市教育委員会掲示より)
総持寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿