霊性庵|狭山三十三観音霊場
霊性庵の概要
真言宗智山派寺院の霊性庵は、東大和市狭山にある庵室で圓乗院が管理しています。霊性庵は、賢誉法印(平治元年1159年寂)が開山となり創建したといいます。狭山三十三観音霊場17番です。
山号 | |
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院号 | - |
寺号 | 霊性庵 |
住所 | 東大和市狭山2-1330 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
霊性庵の縁起
霊性庵は、賢誉法印(平治元年1159年寂)が開山となり創建したといいます。
境内石碑による霊性庵の縁起
狭山観音堂霊性庵(嶺松庵)が、開創された年代は詳かでないが、圓乗院第二十二世法印泓誉が、本尊如意輪観音像の台座に、
「元禄五壬申九月三日、天再興成就然而此尊像者雲慶作也、依之願主当村殊惣檀中圓乗院住法印泓誉 勧男女奉加念佛講為二世安楽再興成就祈也」
と誌されていることから、庵の創建は、これ以前であることが伺える。(境内石碑より)
霊性庵所蔵の文化財
- 十七番札所霊性庵(東大和市旧跡)
十七番札所霊性庵
この霊性庵は、狭山三十三観音霊場の十七番目の札所である。
霊場は、狭山丘陵周辺に点在するが、一説には天明八年(一七八八)に創設されたと言われている。
観音巡りは、一人の人間としての安らぎを求めるためのもので、明治の中期ごろまで盛んであった。
本尊は、如意輪観世音菩薩で、作者は恵心僧都といわれ、長さ八寸(約二四センチメートル)の坐像が安置されている。
(霊性庵詠歌)きぎ茂る 峯の庵を訪ね来て うれしくもきく 法の松風(東大和市教育委員会掲示より)
霊性庵の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿