妙徳山禅福寺|無二法一禅師が開山となり創建
禅福寺の概要
臨済宗建長寺派寺院の禅福寺は、妙徳山と号します。禅福寺は、鎌倉建長寺の無二法一禅師が開山となり創建、江戸期には寺領13石の御朱印状を拝領したといいます。
山号 | 妙徳山 |
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院号 | - |
寺号 | 禅福寺 |
住所 | 羽村市羽中4-5-8 |
本尊 | 釈迦牟尼佛像 |
宗派 | 臨済宗建長寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
禅福寺の縁起
禅福寺は、鎌倉建長寺の無二法一禅師が開山となり創建、江戸期には寺領13石の御朱印状を拝領したといいます。
羽村市教育委員会掲示による禅福寺の縁起
妙徳山禅福寺
臨済宗建長寺派に属し、山号は妙徳山。古くは、集落の地名田の上から「田上山」とも号していました。
応安五年(1372)、将軍足利義満は、建長寺の無二法一禅師に深く帰依し、禅師を開山とし、広大な寺領をあたえ、諸役を免除したとつたえます。
江戸時代も、足利氏にならい、高十三石の朱印状があたえられ、諸役免除されています。その後、数度の火災のため、諸堂は焼失、寺宝、古記録もほとんど失われました。本尊は文殊菩薩。境内には市指定文化財の山門があります。(羽村市教育委員会掲示より)
新編武蔵風土記稿による禅福寺の縁起
(羽村)禅福寺
御朱印地の内、境内二百坪、小名田ノ上にあり、田上山と號す、村の中央多磨川の岸なり、臨済の禅宗、當郡長淵村玉泉寺の末、御朱印十三石の寺領を附せらる、本尊正観音木像、長二尺許立身、本堂七間に五間半南向、開山を無二和尚と云、廃寺にひとしく、近来住持持等もなし。
薬師堂。二間半四方、境内にあり、木の坐像、長九寸。(新編武蔵風土記稿より)
禅福寺所蔵の文化財
- 禅福寺の山門(羽村市指定有形文化財)
禅福寺の山門
寺伝によれば、本寺は応安年間(1368-74)の創建、山門は、寛正3年(1462)の建立といわれています。
山門は昔から薬医門ともよばれていますが、正確には四脚門(よつあしもんともいう)です。木鼻や蟇股などが失われ、時代判定もむずかしいようですが、山門の焼失や破損の伝承記録もなく、風触状況から創建時にあたる室町時代中期の遺構と推定されます。
文化6年(1809)6月、江戸の著名な文人大田南畝(蜀山人)が、多摩川巡見の途次、この山門前に立ち門前の塔婆を目撃しています。(羽村市教育委員会掲示より)
禅福寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿