金峰山永明院|廣園寺の塔頭
永明院の概要
臨済宗南禅寺派寺院の永明院は、廣園寺の塔頭の一つで、金峰山と号します。永明院は、永明院殿賀翁大禅定門(永享2年1431年卒)が開基、雲渓玄岫東堂(永享9年1437年寂)が開山となり、正長元年(1428)に創建したといいます。
山号 | 金峰山 |
---|---|
院号 | 永明院 |
寺号 | - |
住所 | 八王子市山田町1622 |
宗派 | 臨済宗南禅寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
永明院の縁起
永明院は、開山僧は不明ながら明応元年(1492)に真言宗寺院として創建、その後新横山から当地へ移して廣園寺塔頭とし、南禅寺より貴雙玄栄を請待して中興開山としたといいます。
新編武蔵風土記稿による永明院の縁起
(山田村)境内、凡二千坪餘、金峰山と云、明應元年四月創建の寺にて開山の名を傳へず、其もとは真言宗にて、新横山村に在しが後この所へ移り塔頭となりて、本山より貴雙玄榮を請して中興開山とせり、この人は相模國小田原の産にて川和氏なるよし、元亀三年六月寂すといふ、大檀那は田中和泉氏とて小田原の家人なりしが、子孫も今郡内柚木村に在りと云へども、北條家諸領役帳にも所見なければ其傳を詳にせず、當寺の開基なりしにや、本堂四間半に五間、本尊釈迦を安せり。(新編武蔵風土記稿より)
「八王子市史」による永明院の縁起
永明院(山田村―山田町一、六二二)
山号金峰山、明応元年(一四九二)四月の創建、開山は不明であるが、もと当寺は真言宗に属し、新横山村にあったのを後このところに移して広園寺塔頭とし、京都南禅寺から貴雙玄栄を請じて中興開山としたのである。玄栄は相州小田原の産で川和氏、元亀元年(一五七〇)六月の示寂、開基は小田原の家人田中和泉守で、今なおその子孫が由木村大沢に在住している。なお、当寺宝物として大鷹を画いた掛物一軸があり、大久保長安の奉納と伝えられていたが現在は不明である。(八王子市史より)
永明院の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「八王子市史」