兜率山西笑院|廣園寺の塔頭、臨済宗総管長を輩出
西笑院の概要
臨済宗南禅寺派寺院の西笑院は、廣園寺の塔頭の一つで、兜率山と号します。西笑院は、廣園寺4世世道運慶禅師が応永10年(1403)ないしは明徳4年(1393)に創建したともいい、明治時代に当寺住職を勤めた峰尾大休和尚は後に臨済宗総管長を勤めたともいいます。
山号 | 兜率山 |
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院号 | 西笑院 |
寺号 | - |
住所 | 八王子市山田町1560 |
宗派 | 臨済宗南禅寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
西笑院の縁起
西笑院は、廣園寺4世世道運慶禅師が応永10年(1403)ないしは明徳4年(1393)に創建したともいい、明治時代に当寺住職を勤めた峰尾大休和尚は後に臨済宗総管長を勤めたともいいます。
新編武蔵風土記稿による西笑院の縁起
(山田村)西笑院。
境内、三千坪餘、是も(廣園寺の)境内にあり、下同、本堂五間に六間、本尊釈迦如来を安す、應永十年二月草創す、開山道運東堂正長元年八月七日示寂すといへり。(新編武蔵風土記稿より)
「八王子市史」による西笑院の縁起
西笑院(山田村―山田町一、五六〇)
本尊釈迦牟尼仏、応永一〇年(一四〇三)二月の草創で、開山は道運東堂(広園寺四世、正長元年 一四二八 一〇月一六日示寂)である。現在の本堂は当寺十二世敬堂の再建である。(八王子市史より)
境内掲示による西笑院の縁起
当院は、広園寺の旧境内地に位置し、本寺に従属する塔頭寺院である。江戸時代末期までは、本寺(広園寺)をとりまいて、その塔頭寺院が四十九ヶ寺あったが、今は当院を入れて四ヶ寺の塔頭寺院のみである。宗派としては臨済宗南禅寺派に属し、第二十七部の一ヶ寺として法燈を継いでいる。
本尊は釈迦牟尼佛で釈迦三尊佛として脇に文殊菩薩と普賢菩薩を安置している。創建者は、広園寺の第四世道運慶禅師で、応永十年(一四〇三年)とされている。しかし明徳四年(一三九三年)説もある。
現在の本堂は、当院十二世敬堂代の再建であるが、十一代と十二代の間に村内爆火にあい、飛火して伽藍などすべてを焼失するに至った。しかるに詳細は尚不明である。大正十二年には、関東大震災で庫裏が大破壊した。
かくのごとき歴史の中で、特筆すべきことに、明治時代峰尾大休和尚が住職をしたことがあげられる。大休和尚は、明治十三年四月に鎌倉圓覚寺の専門道場へ掛搭し、今北洪河老師に就いてさらに修行をし、明治二十四年帰山、翌明治二十五年再び圓覚寺へ転じ釈宗演老師について鉗鎚を受け、明治二十八年十二月八日には、印可を授けられた。又何事も法縁にまかすべしと考え、明治三十三年埼玉県の平林寺に移り、さらに同年四十一年には、妙心寺に転じ再住職の拝命を受け、後に臨済宗の総管長になったのである。(境内掲示より)
西笑院の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「八王子市史」