新町御嶽神社|新町開拓の吉野織部之助正清が大和国金峯山権現を勧請
新町御嶽神社の概要
新町御嶽神社は、青梅市新町にある神社です。新町御嶽神社は、新町開拓の新始祖吉野織部之助正清が、新町村開拓完成と同時に、大和国金峯山権現を勧請、元和2年(1616)御嶽大権現と称して村内鎮守として創祀したといい、江戸幕府より社領3石の御朱印状を拝領したといいます。明治6年村社に列格、大正2年には富士大神社を合祀したといいます。
社号 | 御嶽神社 |
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祭神 | 日本武命、広国押武金日命(安閑天皇)、木花咲耶姫命 |
相殿 | - |
境内社 | 塩竈神社、水神宮、古峯神社、三峯神社 |
住所 | 青梅市新町2-28-26 |
祭日 | 9月29日 |
備考 | - |
新町御嶽神社の由緒
新町御嶽神社は、新町開拓の新始祖吉野織部之助正清が、新町村開拓完成と同時に、大和国金峯山権現を勧請、元和2年(1616)御嶽大権現と称して村内鎮守として創祀したといい、江戸幕府より社領3石の御朱印状を拝領したといいます。明治6年村社に列格、大正2年には富士大神社を合祀したといいます。
新編武蔵風土記稿による新町御嶽神社の由緒
(新町村)蔵王権現社
覆屋四間四方、拝殿一間半に二間、鎮座の年歴をしらず、御朱印三石の社領を附せらる、當郡羽村の神職宮川左京の持なり。(新編武蔵風土記稿より)
東京都神社名鑑による新町御嶽神社の由緒
創建は元和二年(一六一六)九月、吉野織部之助正清が新町開拓完成の節、大和金峯山権現を勧請し、御獄大権現と称して村内鎮守として杷ったものである。のち元禄二年(一六八九)八月再建、幕府より朱印地三石を賜わり、維新のさい御獄神社と改称。同四年社領を奉還上知した。同七年四月重修。大正二年富士大神社を合祀す。(東京都神社名鑑より)
「青梅市史」による新町御嶽神社の由緒
御嶽神社
新町に鎮座する。祭神は日本武尊、押武金日命、木花咲耶姫命を祀る。例祭は九月二十九日である。慶長十六年(一六一一)、新町の開拓は吉野織部之助正清によって始まった。本社の創建はそれから五年後の元和二年(一六一六)九月、開拓の完成と同時に新町村の開村を期して、大和金峯山権現を勧請し御嶽大権現と称し、村内鎮守を願って祀った。元禄二年(一六八九)八月社殿を再建。当時幕府より御朱印地三石を受ける。明治四年、社名を御嶽神社と改称し、同六年、村社に列格した。同七年、社殿を改修。大正二年、富士大神社を合祀する。昭和四十六年に社殿(鉄筋コンクリート造) の新築、境内の整備が完成、形容が一新した。境内面積は一、二三二坪(四、〇六六平方メートル) である。(「青梅市史」より)
境内掲示による新町御嶽神社の由緒
新町開拓の新始祖吉野織部之助正清が、新町村開拓完成と同時に、大和国金峯山権現を勧請し、御嶽大権現と称して村内鎮守として祀った。のち元禄二年(一六八九)八月再建久しくして明和七年(一七七〇)四月重修、幕府より朱印地三石を賜わり維新のさい、御嶽神社と改称、明治六年村社に列格、大正二年富士天神社を合祀、昭和四十六年十月新築工事完成し境内社殿ともに一新した。更に昭和六十一年鎮座三七〇年記念事業を奉賛、大鳥居その他境域建物諸設備充実完備し現在二級社の取り扱いを受ける。(境内掲示より)
新町御嶽神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 東京都神社名鑑
- 青梅市史