旧吉野家住宅|新町村を開拓した名主家の居宅
旧吉野家住宅の概要
旧吉野家住宅は、青梅市新町にある名所旧跡です。旧吉野家住宅は、当地で代々名主を務めていた吉野家の居宅建造物です。当地(新町村)は、下師岡村出身の吉野織部が慶長16年(1611)より開拓に着手、前後して東禅寺を創建、吉野家は、当地(新町村)が村として成立して以来代々名主を務めてきたといいます。現存する建造物は、青梅市長淵の棟梁新兵衛等により安政2年(1855)に建造されたそうです。
名称 | 旧吉野家住宅 |
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みどころ | 東京都指定史跡 |
入場時間 | - |
入場料 | 無料 |
住所 | 青梅市新町1-21-9 |
備考 | - |
旧吉野家住宅の由緒
旧吉野家住宅は、当地で代々名主を務めていた吉野家の居宅建造物です。当地(新町村)は、下師岡村出身の吉野織部が慶長16年(1611)より開拓に着手、前後して東禅寺を創建、吉野家は、当地(新町村)が村として成立して以来代々名主を務めてきたといいます。現存する建造物は、青梅市長淵の棟梁新兵衛等により安政2年(1855)に建造されたそうです。
東京都教育委員会掲示による旧吉野家住宅について
東京都指定有形文化財
旧吉野家住宅
慶長一六年(一六一一)、吉野織部之助(?~一六三九)は新田の開発に着手し、新町村が誕生しました。吉野家は、新町村の名主を代々勤めました。現存するこの住宅は、安政二年(一八五五)三月、下馬淵村(現在の青梅市長淵)の棟梁新兵衛らによって建てられたものです。桁行一〇・五間(約一九・一)、梁間四・五間(約八・一m)の茅葺入母屋造で、建築面積は七五・二坪(二四八・七㎡)です。建物は整形六ツ間型、向かって右側はダイドコロ、隣接するカッテは板の間でイロリが切られています。左手奥の部屋(オク)は床・違い棚・附書院を完備し、玄関には式台が付いています。天井裏に当たる小屋組みの内部には、養蚕用のタナ・オオダナが設けられています。幕末の名主階級の民家として完成された多宝間取りの姿を良く伝え、多摩地方を代表する建造物です。(東京都教育委員会掲示より)
新編武蔵風土記稿による旧吉野家住宅について
(新町村)
此地は慶長十八年の頃、下師岡村の民吉野織部といひしもの原野を開しよしを傳ふ、今其分家當村の里正なり、村内に慶長十年織部起立の寺院あるを見れば、さもあるべきに似たり、(新編武蔵風土記稿より)
旧吉野家住宅の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿