青梅新町の大井戸|鎌倉時代造成と推定される井戸
青梅新町の大井戸の概要
青梅新町の大井戸は、青梅市新町にある名所旧跡で、擂り鉢の形状をした下り通路の井戸です。青梅新町の大井戸の創始については不詳ながら、まいまいず井戸と同様に中世(鎌倉時代)に造成されたものではないかといいます。慶長16年(1611)に当地が新町村として開発された際には、大規模に改修され、江戸期をとおして利用されていたといいます。
名称 | 青梅新町の大井戸 |
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みどころ | 東京都指定史跡 |
入場時間 | - |
入場料 | 無料 |
住所 | 青梅市新町2-27大井戸公園 |
備考 | 新町御嶽神社隣接 |
青梅新町の大井戸の由緒
青梅新町の大井戸の創始については不詳ながら、まいまいず井戸と同様に中世(鎌倉時代)に造成されたものではないかといいます。慶長16年(1611)に当地が新町村として開発された際には、大規模に改修され、江戸期をとおして利用されていたといいます。
東京都教育委員会掲示による青梅新町の大井戸について
青梅新町の大井戸
大井戸は、人が水口付近まで近づくための擂り鉢形の施設と水をくみ上げる筒井戸からなる漏斗状の形をしています。このような形の井戸は、羽村市のまいまいず井戸(都指定史跡)など、水の得にくい武蔵野台地等で構築されていますが、東西約22メートル、南北約33メートル、深さ7メートルの擂り鉢部と周囲の盛土からなる大井戸は、なかでも最大の規模をもつものです。
この井戸が掘られた時期については、定かではありませんが、地表から筒形井戸を構築する技術が一般化する以前の様式であると考えられます。また、武蔵野の原野を走る「古青梅街道」と「今寺道(秩父道)」の二本の古道が交差する位置にあることから、おそらく江戸時代の開発以前から道行く人馬の飲み水を供給する場所となっていたものと思われます。
新町村の開発は、慶長16年(1611)に師岡村の土豪的農民吉野織部之助らによって始まりますが、この際、大井戸に大規模な改修が加えられ、塩野家井戸として使用されたことが、開村の様子を記した「仁君開村記」や発掘調査の結果から想定されます。さらに、筒井戸の底付近から出土した、明和7年(1770)の年号と「永代不絶泉」の墨書をもつ願文石から、その後も使用されていたことが明らかになりました。
このように大井戸は、中世後期から近世初期の武蔵野台地の開発に関する貴重な歴史的以降で学術的な価値も高い史跡です。
指定面積は2,121平方メートルです。(東京都教育委員会・青梅市教育委員会掲示より)
新編武蔵風土記稿による青梅新町の大井戸について
(新町村)該当記載なし(新編武蔵風土記稿より)
青梅新町の大井戸の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿