天徳山高源寺|彫刻家朝倉文夫が当寺に疎開
高源寺の概要
曹洞宗寺院の高源寺は、天徳山と号します。高源寺の創建年代などは不詳ながら、江戸時代初期には既に創建していたといい、海禅寺十世家山東伝が元禄年間(1688-1703)に開山したといいます。太平洋戦争時には、彫刻家朝倉文夫が当寺に疎開していたといいます。
山号 | 天徳山 |
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院号 | - |
寺号 | 高源寺 |
住所 | 青梅市二俣尾5-1614 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
高源寺の縁起
高源寺の創建年代などは不詳ながら、慶徳寺と同様に江戸時代初期には既に創建していたといい、海禅寺十世家山東伝が元禄年間(1688-1703)に開山したといいます。
新編武蔵風土記稿による高源寺の縁起
(二俣尾村)高源寺
除地七畝六歩、小名平溝にあり、天徳山と號す、是も本寺同前(海禅寺)、本堂八間に五間南向、本尊釋迦の坐像を安す、長二尺餘、開山を家山東傳と云ふ、本寺第十世示寂の年月を失ふ、開基詳ならず。(新編武蔵風土記稿より)
「青梅市史」による高源寺の縁起
高源寺(天徳山)
二俣尾・平溝(現・二俣尾五丁目)にあり、本尊は釈迦如来である。元禄年間(一六八八~一七〇三)海禅寺十世家山東伝が開山である。海禅寺過去帳に 「元和八年壬戌(一六二二)正月平溝の彦右衛門高源寺の火事にて死す」と記載があり、このころすでに存在していたらしい。山門は古色あるものである。太平洋戦争中、昭和二十年から二十一年、彫刻家朝倉文夫がこの寺に疎開していた。(「青梅市史」より)
高源寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「青梅市史」