普明寺|天正年間に石川土佐守が創建
普明寺の概要
天台宗寺院の普明寺は、拝島山と号します。普明寺は、天正年間(1573-1591)に石川土佐守が拝島大日堂を再建する際、普明寺も創建したといい、江戸期には拝島大日堂の別当寺として大日堂料10石のうち5石を配当されていたといいます。
山号 | 拝島山 |
---|---|
院号 | - |
寺号 | 普明寺 |
本尊 | 大日如来像 |
宗派 | 天台宗 |
住所 | 昭島市拝島町1-20-16 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
普明寺の縁起
普明寺は、天正年間(1573-1591)に石川土佐守が拝島大日堂を再建する際、普明寺も創建したといい、江戸期には拝島大日堂の別当寺として大日堂料10石のうち5石を配当されていたといいます。
新編武蔵風土記稿による普明寺の縁起
(拝島村大日堂)別當普明寺
大日堂の西の方距ること一町程にあり、拝嶋山密嚴院と號す、天台宗、高月村圓通寺末なり、慶安年中回禄の災に罹りて、開山の事實詳ならず、大日領十石の内五石を配當す、此二石は學頭料なりと云、客殿九間半に六間東向、本尊大日を安す、門は扣柱造にて柱間八尺なり、當時以下の坊中境内皆大日堂領の内なれば、共に其山號を同く稱せり。(新編武蔵風土記稿より)
「昭島市史」による普明寺の縁起
普明寺(拝島町)
拝島山と号す天台宗延暦寺派の寺院。天正一九(一五九一)年徳川家康から大日堂が堂領一〇石の御朱印を賜ったが、普明寺は別当寺として三石を配当されているように、大日八坊の中でも由緒ある寺院である。しかし、大正六年三月の拝島の大火にあい、古記録を焼失したため創建は明確でない。『大日堂縁起』によれば、天正年間(一五七三~一五九一)に石川土佐守が創建したと記されているが定かではない。また、大永年間(一五二一~一五二七)に再建されたが、天正三一(一五八五)年に羅災し、慶安元(一六四八)年に再び火災にあったとの口碑もある。
なお、現在の本堂は昭和十年に再建された建物である。
本尊は大日如来である。(「昭島市史」より)
普明寺所蔵の文化財
- 山王祭礼図絵(市指定有形文化財)
山王祭礼図絵
この図絵は、明和四年(一七六七)、当時の住職順栄が、山王祭礼行列を後世に伝えるため図示し作成したものです。
本紙は、鳥の子紙八紙からなり、幅二七・七センチメートル、全長八三四・七センチメートルで、表装、彩色された絵巻物です。
この図の祭礼は僧侶も参加していましたが、明治初年の神仏分離以後は日吉神社の祭礼として毎年九月に行われています。(昭島市教育委員会掲示より)
普明寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「昭島市史」