東勝庵|観音寺の境外仏堂、観音寺の前身となった地
東勝庵の概要
天台宗寺院の東勝庵は、観音寺の境外仏堂です。当地は観音寺の前身となった地だといい、永禄12年(1569)滝山合戦により観音寺は現在地へ移転したといいます。
山号 | 高田山 |
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院号 | - |
寺号 | 東勝庵 |
本尊 | - |
宗派 | 天台宗 |
住所 | 昭島市大神町1-4-15 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
東勝庵の縁起
東勝庵は、観音寺の前身となった地にあり、永禄12年(1569)滝山合戦により焼失、現在は観音寺の飛地境内地となっています。
「昭島市史」による東勝庵の縁起
観音寺(大神町)
大上山薬王院と号す天台宗の寺院。開山開基は明確ではないが、かつては東勝寺という寺院で、現在の東勝庵の地に建立されていた。『観音寺由緒沿革』によれば、東勝寺は永禄一二(一五六九)年の滝山合戦の際、武田軍の攻撃を受けて焼失したが、その後、徳川家康の助力によって、慶長八(一六〇三)年三月に権大僧都広栄法印が現在地に移して再建し観音寺と改称した。
文化八(一八一一)年一〇月に高月の円通寺に宛てた書上帳『観音寺分限帳』によれは「東西六十間 南北百間 内畑四反八畝十二歩 林六反歩」と記されており、拡大な敷地を有し、薬師堂、稲荷社 鐘楼などがあり、山門は青梅街道に面していた。
なお、東勝寺の創建については東勝庵境内から文明年間(一四六九~一四八六)などの板碑が発見されていることから室町時代初期頃の創建と推定できよう。(「昭島市史」より)
東勝庵の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「昭島市史」