福泉寺|移転した壽昌寺の旧地
福泉寺の概要
臨済宗建長寺派寺院の福泉寺は、松澤山と号します。福泉寺は、当地にあった壽昌寺が三世文峰和尚の代に二本木に移転、当地に福寿庵と称する小庵を創始したといいます。壽昌寺六世単道和尚の代に願い出て、壽昌寺二世真庵玄性を勧請開山として開山したといいます。
山号 | 松澤山 |
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院号 | - |
寺号 | 福泉寺 |
住所 | 西多摩郡瑞穂町高根79 |
宗派 | 臨済宗建長寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
福泉寺の縁起
福泉寺は、当地にあった壽昌寺が三世文峰和尚の代に二本木に移転、当地に福寿庵と称する小庵を創始したといいます。壽昌寺六世単道和尚の代に願い出て、壽昌寺二世真庵玄性を勧請開山として開山したといいます。
新編武蔵風土記稿による福泉寺の縁起
(高根村)福泉寺
松澤山と號す、臨済宗、二本木村壽昌寺末、開山真菴永禄二年八月十五日寂す、本尊釋迦なり。
天王社。(新編武蔵風土記稿より)
「瑞穂町史」による福泉寺の縁起
松沢山福泉寺
開基不詳
開山建長寺百十九世真庵玄性和尚(文安三年八月一日示寂)
往古此処に寿昌院という寺があったが、三世文峰和尚の時に寺を二本木に移し、その跡地に小さな庵室をつくり福寿庵と称したという。寿昌寺六世単道和尚の代に本山に願い一寺に取立て福泉寺と号し、寿昌寺二世真庵玄性を開山として勧請したという。福泉寺来由口碑録(明治十六年)には開山を真庵性公と記し、伝不詳、寿昌寺の前住にして示寂は、永禄二年六月十一日であるとしている。また享保年代に普済寺に住んでいた瑞渓宗珍という僧の書いたものに、前記の真庵和尚や文峰和尚は永禄以後の人であるが、共に何処の人であるかわからす、示寂の忌日はわかるけれど何年の何月ということは不明だとある。
福泉寺創建については一説に村民の田中・奥泉・池谷の三氏が発願人となって一福寿庵を一寺に取立て松沢山福泉寺としたという。
また一説にこの庵に福泉坊という発心者が住みつき庵主であったので寺号になったということである。(「瑞穂町史」より)
福泉寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿