壽昌寺。狭山三十三観音霊場
壽昌寺の概要
臨済宗建長寺派寺院の壽昌寺は、鶴円山と号します。壽昌寺は、普済寺三世蔵海性珍禅師(応永16年1409年寂)が開山となり高根に創建、三世文峰和尚の代に当地に移転したといいます。狭山三十三観音霊場27番です。
山号 | 鶴円山 |
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院号 | - |
寺号 | 壽昌寺 |
住所 | 入間市二本木1255 |
宗派 | 臨済宗建長寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
壽昌寺の縁起
壽昌寺は、普済寺三世蔵海性珍禅師(応永16年1409年寂)が開山となり高根に創建、三世文峰和尚の代に当地に移転したといいます。
新編武蔵風土記稿による壽昌寺の縁起
(二本木村附新田)壽昌寺
前寺と同宗同末(臨済宗、多磨郡柴崎村普済寺末)なり、鶴圓山と號す、開山蔵海性珍禅師應永十六年六月十一日寂す、本尊は釋迦の坐像なり。
鐘楼。寶永元年に鋳し鐘をかく。
観音堂。観音は立身の像にて、法眼の作なりといへり。
稲荷辨天合社。 (新編武蔵風土記稿より)
瑞穂町史による壽昌寺の縁起
当寺は往古寿昌院と号し高根村にあり。二本木村が開発され檀那の数が多くなったので二本木の現地へ移転したという。勧請開山蔵海禅師は普済寺三世であるという。 (瑞穂町史より)
壽昌寺所蔵の文化財
- 石造閻魔大王像(入間市指定有形民俗文化財)
石造閻魔大王像
閻魔大王は、三途の川を渡って冥府に着いた亡者の地獄行きか極楽行きかを決める十王中の代表的判官の一人である。
この石造閻魔大王像は、享保十五年(一七三〇)四月に二本木村中宿、大森村の念仏衆、および村民によって建立されたもので、廃寺となった浄珍寺にあったものといわれている。
丸彫りで総高一二〇センチメートル、像高八〇センチメートル、笏(一部欠失)を持ち忿怒の形相をした道服座像で、墓地に参る人々に菩提心の喚起を呼びかけている。台石には次の銘文が刻まれている。(入間市教育委員会掲示より)
壽昌寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿