善福山盛泰寺|豊島区南池袋にある日蓮宗寺院
盛泰寺の概要
日蓮宗寺院の善福山盛泰寺は、文明年間(1469-1487)の開山とされ、京都二条妙満寺末でした。明治44年に浅草新鳥越町の安盛寺、浅草新寺町の常林寺と合併し、昭和28年に当地へ移転しました。
山号 | 善福山 |
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院号 | - |
寺号 | 盛泰寺 |
住所 | 豊島区南池袋2-20-1 |
宗派 | 日蓮宗 |
本尊 | 曼荼羅・お前立・日蓮坐像 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
盛泰寺の縁起
盛泰寺は、文明年間(1469-1487)の開山とされ、明治44年に浅草新鳥越町の安盛寺、浅草新寺町の常林寺と合併し、昭和28年に当地へ移転しました。
御府内寺社備考による盛泰寺の縁起
京都二条妙満寺末 浅草新寺町
善福山盛泰寺 境内拝領地780坪余
開山は文明之頃ニ而、寛永16年之、武州野寺町御用地ニ被召上。為替地只今之地面江浅草新寺町地坪拝領仕、正宝元年之春野寺町 浅草江引移諸堂再建仕候。中興開基日国、元和元年7月14日死。(御府内寺社備考より)
御府内寺社備考による安盛寺の縁起
京都二条妙満寺末 浅草新鳥越町
千葉山安盛寺 境内古跡年貢地948坪。
当山は、下総国北山谷情趣千葉山谷蔵人胤重三男、千葉新介安盛ト云者有。千葉家敗軍 六年目ニ当リ、慶長元年正月15日、右安盛菩提ヲ吊且ハ先但良父へ伝教大師直彫刻之尊像ヲ奉感得、北辰妙見大菩薩之木像、永々為守護右亡父ノ城内ヘ是ヲ形取一宇ヲ為建立、即日蓮宗日什門徒千葉山安盛寺ト号。亡父胤重領地之内五町四方之田地百姓星野伝左衛門と云者ニ任せ、為地料壱ヵ年米弐百俵余収納有リテ寺務致。其後浅草山谷本所辺ニ旦家凡五拾軒余出来候処、右旦家応望ニ依而、開山慶長元年 29年に至り、寛永元年当所御年貢地江引地ニ相成。境内ハ南北ヘ48間、北之方東西ヘ28間、南之方東西ヘ11間半、坪数948坪。開山安立院日好上人、下総国新村之住。千葉山谷蔵人胤重之末子、万治3年正月10日遷化。(御府内寺社備考より)
御府内寺社備考による常林寺の縁起
陸奥国会津妙法寺末 浅草新寺町
恩田山常林寺 境内拝領地360坪。
起立年代、類焼之節書留焼失仕、不分明候。(御府内寺社備考より)
盛泰寺の周辺図