蓮華山金剛院|御府内八十八ヶ所、豊島八十八ヶ所
金剛院の概要
真言宗豊山派の金剛院は、蓮華山金剛院と号します。金剛院の創建年代は不詳ながら、聖弁(永禄6年1563寂)が開山、江戸時代中期に当地へ移転したといいます。御府内八十八ヶ所霊場76番札所、豊島八十八ヶ所霊場76番札所です。
山号 | 蓮華山 |
---|---|
院号 | 金剛院 |
寺号 | 佛性寺 |
住所 | 豊島区長崎1-9-2 |
本尊 | 木像阿弥陀三尊 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 御府内八十八ヶ所霊場76番札所、豊島八十八ヶ所霊場76番札所 |
金剛院の縁起
金剛院の創建年代は不詳ながら、聖弁(永禄6年1563寂)が開山、江戸時代中期に当地へ移転したといいます。
新編武蔵風土記稿による金剛院の縁起
(長崎村)金剛院
新義真言宗中野村寶仙寺末、蓮華山佛性寺と號す、本尊五智如来中興僧は貞享五年寂す。
鐘樓。鐘は寛文年中鑄造なり。(新編武蔵風土記稿より)
「豊島の寺院」による金剛院の縁起
創立年代由緒等不詳、但し新編武蔵風土記稿に、中興の祖は貞享5年寂す、という記載がみられるので創建はそれ以前である。元禄末、火災にあい現長崎観音堂の地より移転。(「豊島の寺院」より)
「北豊島郡誌」による金剛院の縁起
金剛院
千四百三十六番地に在り、新義真言宗豊山派、中野寶泉寺末、蓮華山佛性寺と號す。本尊五智如来を安置す。當寺往年火災に罹り寺傳を失ふて開創詳ならざるも、約四百年前の剏建にして開山を聖辨和尚と云ふよし、新編武蔵風土記稿に『中興の僧は貞享五年寂す』とあるに見ても其の古き寺なることを知るべし。境内は長崎神社の東に續き小丘の上にあり、本堂は萱葺にして堂前東に大師堂あり、豊島八十八ヶ所の札所にあり、鐘樓ありて寛文年中の梵鐘を吊れり。
(「北豊島郡誌」より)
金剛院の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「豊島の寺院」
- 「北豊島郡誌」