巣鴨大日堂|豊島区西巣鴨にある寺院

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巣鴨大日堂|豊島区西巣鴨にある寺院

巣鴨大日堂の概要

巣鴨大日堂は、池之端(下谷茅町)宝性院を開山した春海和尚が、俗世の時に仕えた徳川秀忠夫妻の新葬に際して青銅百貫文を下賜され、その金子を元に当地を購入し、承応2年(1653)石造大日如来坐像を奉安したといいます。大日坊奉賛会の方々により護持されています。

巣鴨大日堂
巣鴨大日堂の概要
山号 -
院号 -
寺号 -
住所 豊島区西巣鴨2-15
本尊 石造大日如来坐像
宗派 -
葬儀・墓地 -
備考 -



巣鴨大日堂の縁起

巣鴨大日堂は、池之端(下谷茅町)宝性院を開山した春海和尚が、俗世の時に仕えた徳川秀忠夫妻の新葬に際して青銅百貫文を下賜され、その金子を元に当地を購入し、承応2年(1653)石造大日如来坐像を奉安したといいます。大日坊奉賛会の方々により護持されています。

新編武蔵風土記稿による巣鴨大日堂の縁起

(巣鴨村)
大日堂
湯島天神下寳性院持。相傳ふ此堂は台徳院殿御新葬の時、寳性院御納経を奉し御布施として青銅百貫文を賜し故、其厚恩に報し奉ん為當所に於て當地を買取り、湯殿山なる大日の寫を安置し、永く御追福を修し奉ると云、大日石像の臺石の銘に為奉台徳院殿御菩提奉建立大日如来尊像、為奉祟源院殿御菩提承應二癸巳暦二月二十八日願主御臺所町春海啓白と刻す、春海は寳性院の世代にて御臺所町は彼か始めの住居なりと云。(新編武蔵風土記稿より)

新編武蔵風土記稿による巣鴨大日堂の縁起

大日堂
この大日堂は、徳川幕府二代将軍秀忠(法名台徳院殿)とその夫人徳子(法名祟源院殿)に仕えた春海和尚により、承応二年(一六五三)に建立されたものであり、堂内には像高約一メートルの石造大日如来坐像が安置されている。
『御府内寺社備考』によれば、春海和尚は湯島天神下に所在した平等山真如寺宝性院(現台東区池之端一丁目)の開山であり、もとは俗名久眼助右衛門を名乗り「下男組頭役」として将軍夫妻に仕えた。秀忠と徳子の没後「新葬」の際に、宝性院は納経を行なったが、その時に与えられた布施で豊島郡巣鴨村内のこの地に土地を求め、石造大日如来坐像を安置するために大日堂を建立したという。この像の台座には、秀忠と徳子の菩提を弔うためんび本像が造立された旨が、造立年月日の承応二年二月二八日の日付とともに刻まれていた。
明治三八年(一九〇五)、無我愛運動の提唱者伊藤証信は、機関誌『無我の愛』を発行するとともに、大日堂を「無我苑」と称し九箇月にわたって同志とともに自炊生活を営んだ。証信の提唱した無我愛とは、一つの宗教や思想にとらわれず、あらゆる宗教・思想の根源を究め、宇宙の絶対真理すなわち無我の愛を活動の根本にするものである。証信は正和三八年(一九六三)に死去するまでの約六〇年間この精神運動を続けるが、この大日堂での生活はその出発点となったのである。
昭和二〇年四月一三日の空襲により石造大日如来坐像は大きく欠損したが、のちに頭部と両腕は補われた。現在大日堂は、地元の大日坊奉賛会の方々により大切に管理されている。(東京都豊島区教育委員会掲示より)


巣鴨大日堂の周辺図