晴峯山林香寺。林香庵と称して創建、金沢三十四所観音霊場
林香寺の概要
臨済宗建長寺派寺院の林香寺は、晴峯山と号します。林香寺は、東漸寺第十九世雲溪龍公和尚が応永23年(1416)に開創、林香庵と称していたといいます。金沢三十四所観音霊場31番です。
山号 | 晴峯山 |
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院号 | - |
寺号 | 林香寺 |
住所 | 横浜市磯子区森2-20-26 |
宗派 | 臨済宗建長寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
林香寺の縁起
林香寺は、東漸寺第十九世雲溪龍公和尚が応永23年(1416)に開創、林香庵と称していたといいます。
新編武蔵風土記稿による林香寺の縁起
(森公田村)林香菴
年貢地、村の西にあり、本山前に同じ、雨峯山と號す、本堂六間半に四間半、開山聖渓龍公、應永二十三年五月二十九日化す、本尊釋迦坐像長二尺。
観音堂。境内、巽の方にあり、本尊千手観音長二尺八寸。(新編武蔵風土記稿より)
「横浜市史稿 佛寺編」による林香寺の縁起
林香庵
林香庵は、晴峯山と號し、大正十一年以前には、兩峯山と稱した。磯子區森町字東谷四百二十二番地にある。境内は三百九十九坪二合。臨濟宗建長寺末、寺格二等法地、金澤札所觀音靈場の第三十一番である。
沿革
當山は應永二十三年の創立で、杉田村東漸寺第十九世、同寺塔頭多福院七世雲溪龍公和尙の開創した所である。雲溪龍公は、應永二十三年五月二十九日示寂した。元、同庵は今の境内に近き邊、現在四百十七番地に在つたが、明治三十七年十二月十五日、火災に罹りて、堂宇・什寶等、悉く灰燼に歸し、大正四年二月、現地に移轉再建した。其外間創以來、火災の厄に遭つたことがあると傳ふけれど、其年代等は詳かでない。震災以前の堂宇は、第十四世接庵和尙が、天保十一年に再建し、十一月二十三日、上棟を行うた。今の本堂は、現住第十六世が再建し、開創以來、極めて寺院の莊嚴を具備するに至つた。從來東漸寺末であつたが、明治十七年、第十三世代、建長寺直末となつた。
本尊
本尊は釋迦如來の坐像、長四尺、作者は不詳である。
堂宇
現今の堂宇は、本堂 桁行七間、梁間四間半、四注造、亞沿葺。大正四年二月再建。・庫裡 桁行三間、梁間五間、草葺。大正六年再建。・山門 桁行一間半、梁間一間、亞鉛葺。建築年代不明、舊地より移建。である。(「横浜市史稿 佛寺編」より)
林香寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「横浜市史稿 佛寺編」
参考資料
- 新編武蔵風土記稿