福船山安立寺。日蓮上人と富木五郎胤繼とが船中での問答
安立寺の概要
日蓮宗寺院の安立寺は、福船山と号します。安立寺の創建年代等は不詳ながら、安立坊と号していたといいます。日蓮宗の宗祖日蓮上人と中山法華経寺を開基した富木五郎胤繼とが、船中での問答を行った際に、安立坊に着岸、更に続けていた問答を聞き、日蓮上人に帰依して日蓮宗に改めたといいます。
山号 | 福船山 |
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院号 | - |
寺号 | 安立寺 |
住所 | 横浜市金沢区町屋町7-4 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
安立寺の縁起
安立寺の創建年代等は不詳ながら、安立坊と号していたといいます。日蓮宗の宗祖日蓮上人と中山法華経寺を開基した富木五郎胤繼とが、船中での問答を行った際に、安立坊に着岸、更に続けていた問答を聞き、日蓮上人に帰依して日蓮宗に改めたといいます。
新編武蔵風土記稿による安立寺の縁起
(町屋村)安立寺
除地六段餘、村の中程にあり、福船山と號す、法華宗相州鎌倉比企谷妙本寺の末、古は下総國葛飾郡中山法華経寺の末なりしが、三百年前中興日譽の時今の末となれり、相傳ふ當寺は往古修験にて安立坊と稱せり、宗祖日蓮富木五郎胤繼と船中問答の時、當寺に来りて猶又問答ありしを、安立坊傍にありて聞しより日蓮を深く信仰して遂に改宗せり、故に當寺船中問答の舊跡なりと云、されど六浦上行寺及杉田村妙法寺にても船中問答の舊跡なるよし傳ふれば、何れが其實蹟なるを知ず、本尊三寶を安ず、外に日蓮の像あり、草鞋をはき腰を掛し像なり、こは船中問答の時姿を富木胤繼彫刻し、日蓮に請て開眼せしめ安立坊に與へしもの也と云。
鐘楼。門を入て右にあり、享保元年の鐘銘あり。
稲荷。本堂に向て右にあり、小社なり。(新編武蔵風土記稿より)
安立寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵国風土記稿