慶珊寺。横浜市金沢区富岡東にある真言宗御室派寺院

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花翁山慶珊寺。東国八十八ヵ所霊場

慶珊寺の概要

真言宗御室派寺院の慶珊寺は、花翁山と号します。慶珊寺は、地頭豊嶋刑部少輔信満が父母の菩提を弔うために、傳榮訪印(寛永4年1627年寂)を開山として寛永元年(1624)海寄りの地に創建、その後当地へ移転、寺号を信満の母の法名慶珊に因んで慶珊寺としたといいます。東国八十八ヵ所霊場71番、金沢三十四所観音霊場32番です。

慶珊寺
慶珊寺の概要
山号 花翁山
院号 -
寺号 慶珊寺
住所 横浜市金沢区富岡東4-1-8
宗派 真言宗御室派
葬儀・墓地 -
備考 -



慶珊寺の縁起

慶珊寺は、地頭豊嶋刑部少輔信満が父母の菩提を弔うために、傳榮訪印(寛永4年1627年寂)を開山として寛永元年(1624)海寄りの地に創建、その後当地へ移転、寺号を信満の母の法名慶珊に因んで慶珊寺としたといいます。

新編武蔵風土記稿による慶珊寺の縁起

(富岡村)慶珊寺
境内、山林除地、村の西方、山の中腹にあり、古義真言宗、洲崎村龍源寺末、花翁山と號す、寛永元年、地頭豊嶋刑部少輔信満、其父母菩提のため建立する所にて、開山と傳榮訪印と云、同四年示寂、當寺もとは海岸によりてありしが、其地次第に打崩されし故、何の頃か今の所に移れり、其頃は不動院寶龍寺と號す、紀伊國高野山の直末なりしが、後龍源寺末となり、寺號を改めしと云、今の寺號は、信満母の法名、瑚村慶珊と云にとれり、此人慶長十八年十月六日死す、其墓は村の北方地蔵山にありて、村内長昌庵の持なり、本堂七間半に五間東向、本尊不動を安置す、願行上人の作と云。
天神社。本堂より巽にあり。
今宮太神宮。境内北の方にあり。
豊島刑部少輔信満墓。境内、西北の方にあり、五輪の石塔にて文字漫滅す、信満は或明重とあり、豊嶋四郎兵衛信貞の子なり、文禄三年初て御當家へ召出され、旗下の士に列す、元和元年大坂の役に御使番を勤め、同き三年御目付役を命ぜられる、采地千七百石を賜て、寛永五年八月十日營中に於て、井上主計頭正就を害せし故、其坐にして青木久左衛門義清に討る、法名越祖素英と云。(新編武蔵風土記稿より)


慶珊寺所蔵の文化財

  • 豊島明重父子供養塔(横浜市指定有形文化財)

豊島明重父子供養塔

江戸初期、富岡の地頭となった豊島明重は、富岡八幡宮を再興し、ついで慶珊寺を創建して、地域の発展に貢献しました。明重・吉継父子の供養塔は宝篋印塔です。
明重のものは総高ニ0六・0センチ
吉継のものは総高一六七・五センチ(横浜市教育委員会掲示より)

慶珊寺の周辺図

参考資料

  • 新編武蔵国風土記稿