般若寺。横浜市港南区下永谷にある高野山真言宗寺院

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無量山般若寺。文亀3年に創建、大法師秀尊が開山

無量山般若寺の概要

高野山真言宗寺院の般若寺は、無量山と号します。般若寺は、文亀3年(1503)に創建、大法師秀尊が開山したといいます。明治維新後2度の火災によりことごとく焼失したものの、復興しているといいます。

般若寺
般若寺の概要
山号 無量山
院号
寺号 般若寺
住所 横浜市港南区下永谷1-32-11
宗派 高野山真言宗
葬儀・墓地 -
備考 -



無量山般若寺の縁起

般若寺は、文亀3年(1503)に創建、大法師秀尊が開山したといいます。明治維新後2度の火災によりことごとく焼失したものの、復興しているといいます。

新編相模国風土記稿による無量山般若寺の縁起

(永谷上村)
般若寺
無量山と號す、古義眞言宗武州久良岐郡太田村東福寺末、彌陀を本尊とす。(新編相模国風土記稿より)

「港南の歴史」による無量山般若寺の縁起

般若寺(無量山)
『新編相模国風土記稿』に「般若寺 無量山と号す、古義真言宗、武州久良岐郡太田村東福寺末、弥陀を本尊とす。」とのみ記載されているが、当寺書上帳によると、創建は、文亀三年(一五〇三)三月一八日で、開山は、大法師秀尊とある。
中興閥山は、寛文元年(一六六一)一〇月二三日(墓碑銘に依る)に歿した大法印真隆と念っている。
当寺は、明治年間、二度の火災のため、堂宇、什宝、古記録類は、悉く焼失し、檀家は次第に離散して、最後は四軒を残すのみとなったが、無住の寺を、その四軒の檀家が協力し、兼務寺であった大仙寺香象院安楽寺によって、現住鈴木秀成師が、昭和一四年一月入寺晋山するまで、護持して来たことで、鈴木秀成師入寺後、引継いだものは、当寺過去帳だけであって、仏像、仏具などの寺として欠くととのできぬ必要具も、法事の都度、兼務寺から持参して、用をたした状態であった。(「港南の歴史」より)


無量山般若寺の周辺図

参考資料

  • 新編相模国風土記稿
  • 「港南の歴史」