若宮八幡宮|横浜市南区大岡の神社

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若宮八幡宮|鶴岡八幡宮境内若宮八幡宮の別宮として創建

若宮八幡宮の概要

若宮八幡宮は、横浜市南区大岡にある若宮八幡宮です。若宮八幡宮は、源頼朝が鶴岡八幡宮境内の若宮八幡宮の別宮として建久4年(1193)に創建、下大岡村の鎮守社だったといいます。明治6年村社に列格、明治41年、鹿島神社、伊勢神社、神明神社、熊野神社、猿田彦社、道祖神社、辨天社の八社を合祀したといいます。

若宮八幡宮
若宮八幡宮の概要
社号 若宮八幡宮
祭神 大雀命、誉田別命、武甕槌命、道志留辺命、天照皇大神、猿田彦命、市杵島姫命、事解男命、伊邪那美命
相殿 -
境内社 浅間神社、天満宮、熊野神社、伏見稲荷大明神
住所 横浜市南区大岡1-5-1
祭日 例大祭9月6・7日
備考 -



若宮八幡宮の由緒

若宮八幡宮は、源頼朝が鶴岡八幡宮境内の若宮八幡宮の別宮として建久4年(1193)に創建、下大岡村の鎮守社だったといいます。明治6年村社に列格、明治41年、鹿島神社、伊勢神社、神明神社、熊野神社、猿田彦社、道祖神社、辨天社の八社を合祀したといいます。

新編武蔵風土記稿による若宮八幡宮の由緒

(下大岡村村)
神明社
除地、一段五歩、村の西南にあり、二間に二間半、萬福寺持、下同じ。
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鹿島社
除地、一段七畝、村の南なり、社は二間に二間半
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若宮社
除地、二段三畝、村の東にあり、社の大さ上に同じ、吉祥寺持、以上三社皆村の鎮守なり。
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諏訪社二宇
一は村の南にあり、除地一畝十歩、一は東にあり、除地一畝、共に小社にて、萬福寺持、下同じ。
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第六天社
除地、一畝、村の南にあり。
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熊野社
除地、一畝十二歩、同じ邊なり、不動院の持。
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淺間社
除地、一畝二十歩、中程にあり、法積院持、以上三社も小社なり。 (新編武蔵風土記稿より)

「神奈川県神社誌」による若宮八幡宮の由緒

建久四年(一一九三)九月七日、源頼朝が鶴岡八幡宮境内の若宮八幡宮の別宮として創建報賽し、祈願所としたと伝える。永禄七年北条氏康の命により権大僧正源秀夫が別当となって寶積院と称し、以来現在に至る十八代、連綿として当社祀職を奉仕し寶積を以て姓とする。明治六年村社に列し、同四十一年十一月二十五日、神明社、鹿島神社、伊勢神社、神明神社、熊野神社、猿田彦社、道祖神社、辨天社の八社を合祀した。大正十五年八月二十七日、十八ヶ町の総鎮守として神饌幣帛料供進社に指定せられた。昭和三十九年、現社殿及び神楽殿、社務所等を造営竣工した。(「神奈川県神社誌」より)

「南区の歴史」による若宮八幡宮の由緒

創立年代は不詳、もとは吉祥寺持で下大岡村の鎮守であった。明治六年村社に列せられ、明治四一年一〇月二五日、大字下大岡鎮座の鹿島大神、大字弘明寺山下鎮座の神明社、大字中里鎮座の熊野神社、大字下大岡鎮座の神明社及び伊勢社、弁天社、道祖神社、猿田彦社の八社の氏子信徒が協議のうえ若宮八幡宮に合祀した。大正一五年八月二七日、神饌幣帛料供進社に指定された。昭和二一年宗教法人法により神宮を本宗とする神社本庁所属の神社となった。昭和三九年九月一八ヶ町の氏子五九六名の崇敬者の奉賛により、八幡造極彩色の社殿が新築された。若宮八幡宮参道に石の鳥居があって、「若宮八幡、正三位勲一等鈴木達治謹書」と刻まれた石の社額が掲げられてあり、鳥居の両側の柱に刻まれた「一君萬民、国運長久」の文字はセメントで埋められてある。(「南区の歴史」より)


若宮八幡宮の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「神奈川県神社誌」
  • 「南区の歴史」(南区の歴史発刊実行委員会)