慈雲山吉祥寺。平戸大學が開基、東国八十八ヵ所霊場
慈雲山吉祥寺の概要
高野山真言宗寺院の吉祥寺は、慈雲山如意珠院と号します。吉祥寺は、平戸大學が開基となり、長雄(寛永元年1624年寂)が開山したといいます。東国八十八ヵ所霊場61番です。
山号 | 慈雲山 |
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院号 | 如意珠院 |
寺号 | 吉祥寺 |
住所 | 横浜市南区大岡1-6-1 |
宗派 | 高野山真言宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
吉祥寺の縁起
吉祥寺は、平戸大藏(法名覺榮、文安元年1444年没)が開基となり、覺眞法印(文安5年1448年寂)が開山したといいます。
新編武蔵風土記稿による吉祥寺の縁起
(下大岡村)
吉祥寺
境内、見捨地、村の北寄にあり、古義眞言宗、石川寶生寺末、地雲山如意珠院と號す、本堂八間に五間、開山僧覺眞文安五年十一月十三日寂、開基は平戸大蔵則里正清八が先祖なり、文安元年十二月朔日死す、法名覺榮と號す本尊十一面観音長一尺八寸許。(新編武蔵風土記稿より)
「横浜市史稿 佛寺編」による吉祥寺の縁起
吉祥寺
位置
吉祥寺は慈雲山如意珠院と號し中區大岡町寺ノ下二千百四十三番地にある。境内百九十二坪。高野山金剛峯寺の直末、寺格は十五等である。
沿革
開山は覺眞法印と云ひ、文安五年十一月十三日入寂。開基は平戸大藏、法名覺榮といひ、文安元年十二月朔日死去したと云ふ。寛永十年二月十五日義定の關東古義眞言宗本末竝寺領有無帳に、石川寶生寺末、御除と見える。當時は同寺門徒の中で、上通の格式に居つた。寶曆八年十月、梵鐘を鑄造。天保十三年十二月以後は、無住となつたので、本寺の寶生寺で、寺役法用共に之を兼帶して居た。明治維新前は、若宮社の別當寺であつた。明治七年、元町の增德院の末寺となり、大正十五年六月二十九日、更めて高野山金剛峯寺の直末となつた。
本尊
本尊は十一面觀世音菩薩の坐像、高七寸五分。
堂宇
現今の堂宇は、本堂 桁行七間半、梁間六間、四注造、草葺。向拜瓦葺。・庫裡 二十二坪、草葺。である。
檀家
檀家は七十戸。
開基及住職世代
開基平戸大藏、法名覺榮。安政元年十二月朔日歿。開山覺眞法印。過去帳には中興開山とある。文安五年十一月十三日寂。第十世長海。元和七辛酉五月二十三日寂。第十一世賢譽。寛文五乙巳五月六日寂。第十ニ世範譽。元祿十一寅十一月二十日寂。第十三世澄譽。正德六丙申二月二十六日寂。第十四世理海。享保十巳年二月上澣、當山十四世、後、龍海改名、弘明寺邑蓮花院移住。第十五世快嚴。享保十二未秋、福、榎下邑舊城寺。當山十五世。第十六世智能(智音)。享保十五庚戌春、福、大山寶壽院。第十七世光啓。享保十九甲寅春、福、江戸諏訪玄國寺。第十八世鏡智。元文五癸申四月、所生當國足立郡忍。第十九世榮鏡(舜鏡)。鏡智の弟子。第二十世光辨。讃州誕生院僧正眞の弟子。第二十一世秀圓。第二十二世秀海。寶歷八年梵鐘を造立す。第二十三世寛眞。引越村寶光寺へ移轉。第二十四世龍潤。權中僧都。大正六年入山。現住。(「横浜市史稿 佛寺編」より)
吉祥寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「横浜市史稿 佛寺編」