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配郷山真福寺。横浜市中区本牧三之谷にある高野山真言宗寺院

配郷山真福寺の概要

高野山真言宗寺院の真福寺は、配郷山と号します。真福寺の創建年代等は不詳ながら、道音が開山したとも、長弁が慶安4年(1651)に創建したともいいます。

真福寺
真福寺の概要
山号 配郷山
院号 -
寺号 真福寺
住所 横浜市中区本牧三之谷50-1
宗派 高野山真言宗
葬儀・墓地 -
備考 -



配郷山真福寺の縁起

真福寺の創建年代等は不詳ながら、道音が開山したとも、長弁が慶安4年(1651)に創建したともいいます。

新編武蔵風土記稿による配郷山真福寺の縁起

(本郷村)眞福寺
年貢地、東方にあり、これも寶生寺の末、下並に同じ、配郷山と號す、開山道音寂年を傳へず、本尊不動。(新編武蔵風土記稿より)

「横浜市史稿 佛寺編」による配郷山真福寺の縁起

眞福寺
位置
眞福寺は配鄕山と號し、中區本牧町字眞福寺三千三百九番地ノ一にある。境内は九十七坪。高野山金剛峯寺の直末で、二十三等格院である。
沿革
本寺略記に據れば、慶安四年の草創で、長辨の開基、岩崎一家の菩提寺と稱してゐるが、寛永十年二月十五日議定の關東古儀眞言宗本末帳には、旣に寶生寺末眞福寺と載せてあるから、其創立は更に古いことゝ思はれるのである。新編武藏風土記稿は開山道音 寂年を傳へぬ。を擧げ、本尊を不動と記してあつて、今の本尊阿彌陀如來のことは載せてない。元祿十五年四月八日附の寶生寺文書に、當時、快榮なる僧が住持して居たことが記してある。口碑に據れば、正德六年に、僧慈印が中興したとも云ふ。天保十四年七月、本寺寶生寺の書上に、當時當寺は無檀無住の為、組合寺千藏寺で寺約法用とも兼帶とあり、明治初年は、東福院に兼帶されて居た。當時、境内は四畝六歩 年貢地。無住無檀であつたが、同七年、元町增德院の末寺となり、大正十五年六月二十九日に、改めて高野山金剛峯寺の直末となつたのである。
本尊
本尊は阿彌陀如來銅造立像である。臺座の銘に、「奉レ鑄阿彌陀如來、本牧江岩﨑江左衞門尉夫婦為ニ前世後世一慶安第三壬辰曆一月廿四日、鑄工、武州豊島郡江戸住大川四郞兵衞藤原吉次」と記してあるが、風土記稿に、本尊、不動と載せ、阿彌陀のことは記してないので、横濱社會辭彙も、また本尊は不動明王、脇本尊阿彌陀と記してある。此本尊は近年に立て替へたものと思はれる。
堂宇
現今の堂宇は、本堂、庫裡兼帶 桁行四間半、梁間三間、亞沿葺。である。
境内鎭守
境内鎭守、八幡宮。元は後の山上に在つたが、大正六年十月に、境内に移したのである。(「横浜市史稿 佛寺編」より)


配郷山真福寺の周辺図

参考資料
  • 新編武蔵風土記稿
  • 「横浜市史稿 佛寺編」