瀬谷諏訪社|鎌倉入りする前に源頼朝が当社に宿泊
瀬谷諏訪社の概要
瀬谷諏訪社は、横浜市瀬谷区相沢にある諏訪社です。瀬谷諏訪社の創建年代は不詳ですが、源頼朝が治承4年(1180)に鎌倉入りする前夜、当社(相辺沢の鎮守諏訪明神)に宿泊したといいます。瀬谷八幡社、瀬谷日枝社、瀬谷左馬社と共に瀬谷村の鎮守社であったといいます。
社号 | 諏訪社 |
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祭神 | 建御名方命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 横浜市瀬谷区相沢3-24-1 |
祭日 | - |
備考 | - |
瀬谷諏訪社の由緒
瀬谷諏訪社の創建年代は不詳ですが、源頼朝が治承4年(1180)に鎌倉入りする前夜、当社(相辺沢の鎮守諏訪明神)に宿泊したといいます。
新編相模国風土記稿による瀬谷諏訪社の由緒
(瀬谷村)
諏訪社(新編相模国風土記稿より)
神奈川県神社誌による瀬谷諏訪社の由緒
諏訪社(瀬谷区瀬谷町4311)
創立年代は明らかでないが、治承四年(一一八〇)源頼朝鎌倉入りの前夜、当社に一泊の縁故を以て、建久三年水田五反歩を寄進したと伝える。天文十二年十一月に社殿の再建あり、現社殿は昭和四十三年の改築にかかる。(神奈川県神社誌より)
瀬谷区役所掲示による瀬谷諏訪社の由緒
神社の起源は不明ですが、言い伝えによれば、平安時代の治承4年(1180年)8月23日〜26日石橋山に兵を挙げ敗れた源頼朝は房総に逃れました。その後、東国各地の源氏の兵力を集め、10月6日鎌倉入りする前夜、武蔵より相模に入り瀬野郷(瀬谷郷)の相辺沢の鎮守諏訪明神に一泊しました。翌日、郷士相辺沢六郎義氏、相辺沢七郎義村の先導で、隣村の飯田家義と共に、俣野村で俣野五郎景久・大庭景親をやぶり鎌倉に入り、武家政治の基を築いたと言われています。
祭神は建御名方神であり、神社名は諏訪社です。瀬谷区役所掲示より)
瀬谷諏訪社の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿