西林寺。横浜市泉区岡津町にある浄土宗寺院

猫の足あとによる横浜市寺社案内

亀鶴山西林寺。通称首切山の麓に創建

西林寺の概要

浄土宗寺院の西林寺は、亀鶴山一心院と号します。西林寺は、中丸左衛門尉定昭が神奈川宿慶運寺音誉聖観上人(増上寺第三世)の弟子団誉閑悦上人(文亀2年1502年寂)を招き、通称首切山の麓に長禄4年(1460)創建したといいます。徳川家康の側女於万の方(清源院尼)が当地に退隠、戸塚清源院へ移った後、当地へ西林寺が移転したといいます。

西林寺
西林寺の概要
山号 亀鶴山
院号 一心院
寺号 西林寺
住所 横浜市泉区岡津町1432
宗派 浄土宗
葬儀・墓地 -
備考 -



西林寺の縁起

西林寺は、中丸左衛門尉定昭が神奈川宿慶運寺音誉聖観上人(増上寺第三世)の弟子団誉閑悦上人(文亀2年1502年寂)を招き、通称首切山の麓に長禄4年(1460)創建したといいます。徳川家康の側女於万の方(清源院尼)が当地に退隠、戸塚清源院へ移った後、当地へ西林寺が移転したといいます。

新編相模国風土記稿による西林寺の縁起

(岡津村)西林寺
亀鶴山一心院と號す、同宗武州橘樹郡神奈川宿慶運寺末。本尊は弥陀、開山は閑悦、文亀二年八月三日寂す。(新編相模国風土記稿より)

戸塚区観光協会掲示による西林寺の縁起

亀鶴山一心院西林寺
長禄四年(一四六〇)中丸左衛門尉定昭が神奈川宿慶運寺音誉聖観上人(増上寺第三世)の弟子団誉閑悦上人を招き、藤沢道に沿った向い山=天台山(通称首切山)の麓に建立したのが西林寺の初めです。
徳川家康の側女於万の方は岡津の人で、代官頭彦坂小刑部元正の推挙によって大奥に仕えていましたが、四十歳のころ辞任したのち清源院尼と称し、竹の鼻に草庵を設けて住んでいました。その後戸塚に清源院を建て移住した跡地に移転したのが、今の西林寺です。
三世称念上人は浄土宗捨世派の派祖で、京都知恩院の南隣に一心院を建立したり、知恩院の御影堂に屋根瓦をのせるために努力した高僧です。
本尊は阿弥陀如来で、浄土宗です。(戸塚区観光協会掲示より)


西林寺所蔵の文化財

  • 原田由右衛門の頌徳碑

原田由右衛門の頌徳碑

原田由右衛門の頌徳碑
原田由右衛門は江戸末期に寺子屋師匠をつとめた人で、この碑は筆子中が建てたものです。筆子とは教え子ということです。
明治六年(一八七三)はじめて岡津に小学校が建てられた時には、一年間だけですが先生になっています。そのあと継いだのは西林寺二十九代目の住職であった栄隆和尚で一時小学校は西林寺の本堂を使用していましたが、のち岡津橋のたもとに移されました。そのとき教師になったのが宮本至泰でした。(境内掲示より)


西林寺の周辺図


参考資料

  • 新編相模国風土記稿