坂本第六社|横浜市戸塚区上矢部町の神社

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坂本第六社|大善寺の守護神として天正2年創建

坂本第六社の概要

坂本第六社は、横浜市戸塚区にある第六社です。第六社は、小田原北條氏の一族甘縄左衛門大夫氏繁の請に依り、諧挙牛秀上人が大善寺を創建するに当り護法の守護神として天正2年(1574)創建したといいます。大正6年に神明社を合祀したといいます。

坂本第六社
坂本第六社の概要
社号 第六社
祭神 面足命、惶根命
相殿 天照皇大神
境内社 神明社
住所 横浜市戸塚区上矢部町2969
祭日 例大祭9月15日
備考 -



第六社の由緒

坂本第六社は、小田原北條氏の一族甘縄左衛門大夫氏繁の請に依り、諧挙牛秀上人が大善寺を創建するに当り護法の守護神として天正2年(1574)創建したといいます。大正6年に神明社を合祀したといいます。

新編相模国風土記稿による第六社の由緒

(上矢部村)第六天社
小名坂本の鎮守とす、祭禮十一月廿三日(新編相模国風土記稿より)

「戸塚区郷土史」による第六社の由緒

俗称大六天と呼ばれ、祭神に面足命・惶根命・天照皇大神の三柱の神を祀り、天正二年の創建と伝えている。伝承によると、小田原城主北条氏の一族甘繩左衛門太夫氏繁が、讃誉牛秀の高徳を慕い、師を請じて大善寺を創建し、その守護神として建立奉祀したものという。大善寺の山号を退魔山というのは、これに由来するといわれ、末寺を坂本に開創し六天山光明院正本寺といい、第六大権現とも称したが、明治維新の際神仏分離となり、第六天社と改称した。社殿は文化四年の造営にかかり、大正六年一月十五日神明社を合祀し、今日に及んでいる。(「戸塚区郷土史」より)

神奈川県神社誌による第六社の由緒

天正二年(一五七四)の創建で、北条氏繁が、大善寺護法の守護神として建立したものである。爾来第六九権現と称していたが、明治の神仏分離の際第六社と改称した。
社殿は文化四年六月の再建で、大正六年一月十五日神明社を合祀した。(神奈川県神社誌より)

境内石碑による第六社の由緒

第六天改修記念碑
鎮守第六社の祭神は面足尊惶根尊の二神であり神代七代の内國常立尊より第六代目の神に当るので第六社と稱されています。大正六年一月十五日神明社の祭神天照皇大神を合祀されて居ります。神社の創建は天正二年と言はれ小田原北條氏の一族甘縄左衛門大夫氏繁の請に依り諧挙牛秀上人が大善寺を創建するに当り護法の守護神として建立されたと言はれています。再建は文化四年六月十九日松尾神社及び篠塚八幡社と共に同一職方に依り三社同時に再建されたのであります。
この度の神社改修工事は社殿屋根を銅板一文字葺、本殿屋根に千木勝男木の新設、社殿の改修工事、拝殿正面に御影石の石貼工事、鳥居の再建、社号標の新設、神明社屋根の銅板葺替、神楽殿の屋根葺替、神輿舎の新築、その他神社の当面為すべき工事は概ね完了致しました。是れは偏に氏子竝びに崇敬者の絶大なる奉賛に依り完成した次第であります。
仍て慈に記念碑を建て氏子一同の慶びを後世に伝えるものであります。(境内石碑より)


坂本第六社の周辺図


参考資料

  • 新編相模国風土記稿