鑑映山来迎寺。呑龍上人開山
来迎寺の概要
浄土宗寺院の来迎寺は、鑑映山往生院と号します。来迎寺は、滝山大善寺3世で太田大光院を再興した呑龍上人(元和6年1620年寂)が開山となり神明谷(配郷)に創建、享保のころ八世香誉甫順が、境外仏堂のあった榎久保の地蔵堂へ移転したといいます。
山号 | 鑑映山 |
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院号 | 往生院 |
寺号 | 来迎寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 横浜市戸塚区矢部町947 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
来迎寺の縁起
来迎寺は、滝山大善寺3世で太田大光院を再興した呑龍上人(元和6年1620年寂)が開山となり神明谷(配郷)に創建、享保のころ八世香誉甫順が、境外仏堂のあった榎久保の地蔵堂へ移転したといいます。
新編相模国風土記稿による来迎寺の縁起
(矢部町)来迎寺
浄土宗芝増上寺末、鑑映山往生院と号す、本尊三尊弥陀開山は呑龍元和六年八月廿八日寂す、と云ふ。
地蔵堂(新編相模国風土記稿より)
「戸塚区郷土史」による来迎寺の縁起
来迎寺(矢部町九四七番地) 浄土宗
鏡映山往生院と号し、もと芝増上寺の末寺で、本尊に阿弥陀仏(伝定朝作)を安置している。慶長年中源蓮社立誉大阿呑竜が神明谷(配郷)に創建したものを、享保のころ八世香誉甫順が、境外仏堂のあった榎久保の地蔵堂の所に移したものと伝え、元の寺地を今も寺屋敷とよんでいる。創建年代について「蓮門精舎旧詞」は慶長六年(一六〇一)の創建と伝え、また一説に元和六年(一六二〇)の起立としている。関東大震災の際には本堂・庫裡・山門等が倒壊し、翌大正十三年仮本堂を再建したが、昭和四十三年に入り新装新らたに本堂が落成した。なお第二次大戦により、二十二世海誉教順(姓安田、砲兵大尉)は二十年七月沖繩で戦死した。(「戸塚区郷土史」より)
来迎寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿