富士山正福寺。正福寺殿長崎四郎が開創
正福寺の概要
臨済宗円覚寺派寺院の正福寺は、富士山と号します。正福寺は、正福寺殿長崎四郎が建保4年(1216)が開創したといいます。戦国時代に荒廃したものの石川八左衛門重次(不退院善誉浄蓮)が開基となり、高松寺八世用林(元和6年1620年寂)が中興開山したといいます。
山号 | 富士山 |
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院号 | - |
寺号 | 正福寺 |
本尊 | 釈迦如来像 |
住所 | 横浜市戸塚区上矢部町340 |
宗派 | 臨済宗円覚寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
正福寺の縁起
正福寺は、正福寺殿長崎四郎が建保4年(1216)が開創したといいます。戦国時代に荒廃したものの石川八左衛門重次(不退院善誉浄蓮)が開基となり、高松寺八世用林(元和6年1620年寂)が中興開山したといいます。
新編相模国風土記稿による正福寺の縁起
(上矢部村)正福寺
富士山と號す、臨済宗鎌倉円覚寺末、富士山と號す。本尊は千手観音。開山は用林、元和六年二月二日寂す。開基は石川八左衛門重次なり。四郎左衛門重政の子なり、不退院善誉浄蓮と諡す、慶長十八年十二月四日死す、村内大善寺に葬る。(新編相模国風土記稿より)
「戸塚区郷土史」による正福寺の縁起
富士山と号し、鎌倉円覚寺末で、本尊には正観世音菩薩を安置している。開山は高松寺八世用林(元和六年二月二日寂)、開基は石川八左衛門重次、(法名は不退院善誉浄運、慶長十八年十二月四日亡、大善寺に墓がある)で、正保元年開山説もある。(「戸塚区郷土史」より)
境内掲示による正福寺の縁起
正福寺沿革
富士山と号し臨済宗円覚寺派である。本尊は釈迦牟尼如来にして文殊普賢菩薩を脇侍とする。
建保四年(一二一六)鎌倉三代将軍実朝公の代に正福寺殿長崎四郎によって開創されたと云う。
小田原城落城(一五九〇)のおり長崎右馬助なる者当時に居住せるため無住となり大いに荒廃す。徳川家康公入国以来石川四郎左衛門この地を知行し二代石川左衛門によって慶長十八年(一六一三)に再建、用林昌甫禅師をもって中興開山とす。
寺内に富士大権現を祀ることによって富士居と云う。(境内掲示より)
正福寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿