本木胡録神社|阿出川対馬守貞次の三男が分家、邸内に第六天を創祀
本木胡録神社の概要
本木胡録神社は、足立区本木南町にある胡録神社です。本木胡録神社は、性翁寺の中興開基阿出川対馬守貞次三男が分家した1625(寛永2)年、守護神として邸内に第六天を祀ったのを創始とするといいます。
社号 | 胡録神社 |
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祭神 | 淤母陀琉命(第六天・他化自在天) |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 足立区本木南町4-2 |
備考 | - |
本木胡録神社の由緒
本木胡録神社は、性翁寺の中興開基阿出川対馬守貞次三男が分家した1625(寛永2)年、守護神として邸内に第六天を祀ったのを創始とするといいます。
新編武蔵風土記稿による本木胡録神社の由緒
(本木村)第六天社
同寺(圓乗院)持なり。(新編武蔵風土記稿より)
「ブックレット足立風土記西新井地区」による本木胡録神社の由緒
胡録神社(本木南町4)
淤母陀琉命(第六天・他化自在天)を祭神として祀る神社です。創建は性翁寺(扇2丁目)の中興開基と伝えられる阿出川対馬守貞次の三男が1625(寛永2)年に分家した際、守護神として邸内に第六天を祀ったことに始まるといいます。現在は胡録神社と呼ばれていますが、かつては第六天といいあした。この社名変更は旧小菅県の範囲(足立・葛飾・江戸川区・埼玉県・千葉県の一部)に限られ、明治初年の神仏分離に伴う宗教政策に伴って行われたといいます。境内には寛文3(1663)年の山王二十一仏庚申塔と延享3(1746)年の六部供養塔があります。(「ブックレット足立風土記西新井地区」より)
本木胡録神社所蔵の文化財
- 山王二十一仏庚申塔(足立区登録有形文化財)
山王二十一仏庚申塔
庚申塔は庚申信仰をする庚申講の人々によって造立された塔である。
庚申とは十干の庚と十二支の申とが結び付いた60日に一回巡ってくる日や年のことを指す。
庚申の日には、人間の体内にいる三尸という虫が睡眠中に抜け出て天帝に罪過を告げるため寿命が縮むという説が中国の道教にあり、これが日本に伝わり信仰された。庚申の夜には眠らずに過ごす守庚申に、礼拝本尊や宗教儀礼が組み込まれた庚申待が室町時代の中頃から行われるようになり、江戸時代に入ると一般的にも浸透し、各地に庚申講が結成され、供養のための庚申塔が多数造立されるようになった。庚申塔の形態、様式は多様であり、文字塔の他、「青面金剛」、「帝釈天」など種々の神仏を主導とする。
山王二十一仏とは、比叡山日吉神社が祀る二十一社の本地仏を指すものである。山王二十一仏を主導とする庚申塔は板碑として初出し、江戸時代に入っても引続き造立された。
板碑型のこの塔は、上部に山王二十一仏の種子が横三列に刻まれ、中央に「二世安楽」、その左右に「寛文3天(1663)」・「9月15日」と建立年月日が記されている。下部には深く三猿が浮彫りされている。山王信仰と関連する庚申塔としては区内唯一のものである。(足立区教育委員会掲示より)
本木胡録神社の周辺図